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Budapest ( リダイレクト:ブダペスト ) : ウィキペディア日本語版
ブダペスト

ブダペストまたはブダペシュト(, 英語:, or ; )は、ハンガリーの首都であり、同国最大の都市である。
「ブダペスト」として一つの市でドナウ川の両岸を占めるようになったのは1873年11月17日に西岸のブダオーブダ、東岸のペストが合併してからである〔Molnar, A Concise History of Hungary, Chronology pp. 15.〕。
ドナウ川河畔に位置し、ハンガリーの政治、文化、商業、産業、交通の一大中心都市で、東・中央ヨーロッパでは最大、欧州連合の市域人口では8番目に大きな都市である。しばしばハンガリーのプライメイトシティとも表現される〔Tuna Tasan-Kok: Budapest, Istanbul and Warsaw: Institutional and spatial change, p.41 〕。
ブダペストの市域面積は〔で、2011年国勢調査によるブダペストの人口は174万人、ピークであった1989年の210万人より減少している。これは、ブダペスト周辺部の郊外化によるものである。ブダペスト都市圏(通勤圏)の人口は330万人である〔History of the Budapest Commuter Association (English)) 〕〔Settlements of the Budapest Commuter Area (Hungarian) 〕。
ブダペストの歴史の始まりはローマ帝国アクインクムとしてで、もともとはケルト人の集落であった〔。アクインクムは古代ローマ低パンノニア属州の首府となっている。マジャル人がブダペスト周辺にやって来たのは9世紀頃である。最初の集落は1241年から1242年にかけてモンゴルの襲来により略奪された。15世紀に町が再建されるとブダペストはルネサンス期の人文主義者文化の中心となった。続いてモハーチの戦いが起こり、オスマン帝国による150年間の支配が続き〔Molnar, A Concise History of Hungary, Chronology pp. 15〕、18世紀19世紀に新しい時代に入ると町は発展し繁栄する。ブダペストは1873年にドナウ川を挟んだ都市の合併が行われると、世界都市となる。また、1848年から1918年第一次世界大戦勃発まで列強に含まれたオーストリア=ハンガリー帝国のウィーンに続く第二の首都であった。1920年トリアノン条約によりハンガリーは国土の72%を失い、ハンガリーの文化や経済をブダペストがすべてを占めるようになった。ブダペストはその大きさや人口で圧倒的に優位に立ち、ハンガリーの他の都市を小さく見せていた〔http://www.history.com/topics/hungary〕。ブダペストはハンガリー革命 (1848年)1919年ハンガリー評議会共和国1944年パンツァーファウスト作戦1945年ブダペスト包囲戦1956年ハンガリー動乱など数々の歴史的な舞台の場でもあった。
ブダペストはヨーロッパでも最も美しい街の一つで〔〔、ドナウ川河岸を含め世界遺産が広がりブダ城アンドラーシ通り英雄広場は良く知られている。ブダペスト地下鉄1号線''Millenniumi Földalatti Vasút''はロンドン地下鉄に次いで世界で2番目に古い地下鉄である。ブダペストの他のハイライトはセーチェーニ温泉を含めた80の温泉で世界でも最大の地下熱水系統がある。世界で3番目に大きなシナゴーグであるドハーニ街シナゴーグ国会議事堂などもブダペストの見所である。ブダペストの観光客数は年間270万人に上り、ロンドンにある民間調査機関ユーロモニターによればブダペストは世界で37番目に旅行者が多い観光地であるとされている。
== 呼称 ==
ブダペストの名称はドナウ川を挟んだブダとペシュト2つの町の名称を組み合わせたもので、1873年に町が合併され一つになって以来使われている。この際、古いブダを意味するオーブダも一緒に併合された。最初にブダペスト"Buda-Pest"の名が見出されたのは1831年に自由主義貴族セーチェーニ・イシュトヴァーンが出した "Világ" と言う本である〔Bácskai Vera: Széchenyi tervei Pest-Buda felemelésére és szépítésére 〕。ブダ "Buda"やペスト"Pest" の元の意味は不明瞭である。中世からの年代記によればブダは創建者のブレダから来ているとされ、この人物はフン族の支配者アッティラの兄である。ブダが人名から来ていることは現代の学者も支持している〔Kiss Lajos: Földrajzi nevek etimológiai szótára. Budapest: Akadémiai. 1978. 131–132.〕。他の説ではブダはスラヴ語で水を意味する "вода, ''voda''から来ている言うものもある。これはラテン語のアクインクムでローマ時代のブダペスト名称で、ローマ人の主立った集落はこの地域にあった〔Györffy György, ''Pest-Buda kialakulása: Budapest története a honfoglalástól az Árpád-kor végi székvárossá alakulásig,'' Budapest, Akadémiai, 1997, 242.〕。また、ペストの名称についてもいくつかの説があり一つの説は〔Gudmund Schütte, ''Ptolemy's Maps of Northern Europe'' (The Royal Danish Geographical Society: Copenhagen, 1917). p. 101〕"Pest" はパンノニア属州から来ているとするもので、その時以来あったこの地域のコントラ・アキンクムの森はプトレマイオスによりペッシオン ("Πέσσιον", iii.7.§2) と言及されていた〔William Smith (ed.), ''A Dictionary of Greek and Roman Geography'' (London : I.B. Tauris, 2006) of ed. published: London : John Murray, 1872. 〕。他の説ではペストの元はスラヴ語で洞窟を意味する"пещера, ''peshtera''"か炉を意味する "пещ, ''pesht''"で洞窟で火を燃やしていたか、地元の石がまを言及している。古いハンガリーの言葉では似たような単語でかまや洞窟を意味し、古いドイツ語ではこの地域は "Ofen"と言う名で後にドイツ語でブダ側を"Ofen" と言及している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Budapest 」があります。




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