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C57 180は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が動態保存する蒸気機関車で、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造したC57形蒸気機関車の1両である。 1969年(昭和44年)の廃車後、新津市(現在は新潟市)立新津第一小学校の校庭に保存されていたが、1999年(平成11年)にJR東日本によって復元され、磐越西線で「SLばんえつ物語号(後のSLばんえつ物語)」として運転されている。現時点の復活した蒸気機関車牽引列車(SL列車)の中では最長距離(片道約125キロ)を走行する。また、月に1回程度、「SL磐梯会津路号 / SL郡山会津路号」として会津若松駅 - 郡山駅を2日で1往復する。 == 現役時代・保存 == 1946年(昭和21年)に、三菱重工業三原製作所にて製造(製造番号 513)。新製時には新潟機関区に配置され、1963年(昭和38年)に新津機関区に移り、1969年11月8日(9月4日の説もある〔『 鉄道ファン 』1970年3月号、交友社、1970年、117頁。〕)に廃車となった。 製造から一貫して新潟県内の機関区に配置され、北は羽越本線秋田、南は信越本線直江津、東は磐越西線会津若松までを行動範囲としていた。新潟機関区に新製配置直後は戦後混乱期の工作不良がたたってトラブルが続出していたが、1958年(昭和33年)のボイラー換装後は安定した性能を発揮し、急行「日本海」や「佐渡」などの長距離優等列車牽引に重用された。 なお、新津機関区所属時代の当機は、後の1972年(昭和47年)に梅小路蒸気機関車館に動態保存され、現在山口線で保存運転を行っているC57 1と、晩年(1966年から1969年)には、1988年(昭和63年)にJR東日本によって復元されたD51 498とともに所属していたことがある。 1969年(昭和44年)に無煙化の促進によって羽越本線での運用が大幅に削減され、磐越西線の旅客列車からの運用撤退によって新津機関区のC57形は大幅に減ることになった。全般検査後1年だった同機は転属候補とされていたが、鉄道の街・新津に蒸機を1両だけでも残したいとの声が新津機関区で上がり、それに新津市も賛同、保存機として同機が選ばれることとなった。新津機関区生え抜きの他機を差し置いて同機が選ばれた理由は、番号の語呂が良く、D51 180やC51 180も同区に長年在籍しており、180という数字に周囲の特別な思い入れがあったことや、癖や故障が比較的少ないためである〔転属取り止めとなった後、他機との間で動輪を振り替えており、現在同機は「C57 179」と刻印された動輪を使用している。〕。 同年9月30日に磐越西線での蒸機牽引による最終定期旅客列車〔1225列車、本来は同区のD51形の仕業である。なお、この前運用である224列車はC57形とD51形による重連が定期で見られ、当機と現在動態保存されているD51 498との重連も見られた。〕を日出谷駅 - 新津駅間で牽引後、10月12日に新津市立新津第一小学校の校庭の磐越西線側に静態保存された。保存に際し、新津駅の引き上げ線を延長した仮設線路を校庭に敷設し保存場所まで自力で走行、市民や児童らの歓待を受け、同機自らによるくす玉割りや神事の後、惜別の長緩汽笛を何度も吹鳴した〔履歴簿では11月8日に廃車、それまでは第一小学校に保管とされている。〕。現役期間中の最終総走行距離は1,691,096.3 kmであった。この保存の様子は新潟市新津鉄道資料館に展示されている。また、同館にはC57 1に関する資料も展示されており、1961年(昭和36年)の羽越本線列車衝突事故の模様や1972年(昭和47年)のお召し列車牽引時の装飾品など、貴重な展示品もある。静態保存から2年後には屋根が掛けられ、新津機関区(現在の新津運輸区)職員やOB、新津市民らによる「新津市蒸気機関車保存協力会」や第一小学校児童の手により手厚く整備清掃を受け、保存されていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄C57形蒸気機関車180号機」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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