翻訳と辞書
Words near each other
・ CLOCK ZERO 〜終焉の一秒〜
・ CLOCKUP (ブランド)
・ CLOVER (電波望遠鏡)
・ CLPパワー
・ CLPホールディングス
・ CLSクラス
・ CLUB ココ&ナッツ
・ CLUB-K ビックリショー
・ CLUBときめきメモリアル
・ CLUBココ&ナッツ
CLUB紳助
・ CLUTCH (アルバム)
・ CLUTCHO (アルバム)
・ CLV (曖昧さ回避)
・ CLクラス
・ CLリーグ
・ CM (アルバム)
・ CM (曖昧さ回避)
・ CM-タイプのアーベル多様体
・ CM1型磁気浮上列車


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

CLUB紳助 : ウィキペディア日本語版
CLUB紳助[くらぶしんすけ]

CLUB紳助』(クラブしんすけ)は、一部テレビ朝日系列局で放送されていた朝日放送ABCテレビ)製作のトーク番組。司会は島田紳助。製作局の朝日放送では1988年4月2日から1996年9月29日まで放送。
この項目では、1986年10月11日から1988年3月26日まで朝日放送で放送されていた前身番組『紳助のMTV倶楽部』についても記述する。
== 概要 ==
紳助・竜介解散翌年の1986年、司会業に転向してまもない島田紳助(当時30歳)が、30代の10年間だけ自分の思い出としてやりたいようにやる番組として開始した。
朝日放送では1984年10月から、アメリカMTVPV番組を編集した音楽番組MTV: Music Television』が放送されていたが、後期には紳助が司会を務めるトーク番組になり、トークの合間にPVを流す形式へ移行。タイトルも『紳助のMTV倶楽部』に改めた。その後、朝日放送とMTVが提携を解消したのに伴い、1988年4月にタイトルを『CLUB紳助』に変更した。
『紳助のMTV倶楽部』時代にはトークの合間に洋楽のPVを3本放送していたが、『CLUB紳助』時代に入ると土曜夕方放送分はCM前に邦楽のPVを2曲、日曜深夜放送の再編集分は洋楽のPVを3本放送する形式となった。その後、放送時間が土曜午前から日曜深夜に変更されてからは再び洋楽のPVを3本流す構成になり、トークパートは過去の内容の再放送になった。トークは毎回ゲストを迎えて行われていたが、その際にゲストの所持品を視聴者プレゼントにするのが定番であった。前身が音楽番組であったため、トークパートも含めて全編ステレオ音声で放送されていた。
番組開始から数年間は紳助がひとりで番組を進めていたが、後年にアシスタント制を導入。当時はまだ無名俳優であった遠山俊也がアシスタントに抜擢され、1994年から1996年まで出演した。
紳助が40歳を迎えた年の秋、番組は予定通りに10年で放送を終えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「CLUB紳助」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.