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COMDEX(''コムデックス''、''Computer Dealer's Exhibition'')は、1979年から2003年まで毎年11月、ラスベガスで開催されていたコンピュータ関連の展示会。2010年に復活し、現在は仮想空間での展示会という形式を取っている。 当時はCeBITに次ぐ世界第二位の規模のコンピュータ見本市であり、他の業界を含めても最大級の見本市であった。1979年の1回目のCOMDEXは MGM グランドホテルで開催され、展示側は167社、参加者は3904人であった。1981年には、ニューヨークで初の COMDEX/Spring も開催された。 == 拡大と衰退 == 本来、コンピュータ業界関係者だけの展示会だったが、COMDEX はあらゆるコンピュータ関連業者(本体メーカー、周辺機器メーカー、ソフトウェア、アクセサリなど)が集まり、商談のきっかけとなる場になった。 COMDEX が見本市として拡大するにつれ、様々な新製品の発表が行われる場となっていった。世界中から多数の小さな企業がCOMDEXで名を上げるために集まり、業界のリーダーたちは基調講演をする栄誉を得ようとした。基調講演が特定製品の宣伝に使われた例は少なく、多くの場合はコンピュータ業界の動向・歴史・トレンド・未来などが論じられた。Linuxの商業的認知が拡大したのは、1999年の基調講演をリーナス・トーバルズが行ってからとも言われている。 1980年代後半、COMDEX は業界関係者以外にも公開され、参加者数は爆発的に増大した。しかし、同時にそれによってCOMDEXの影響力は希釈され、業界関係者が必ず行くイベントという意味も薄れていった。小売業者やコンサルタントは、新製品に飛びつく顧客が COMDEX で製品を買い、そのサポートを彼らに期待することを不満に思っていた。 同時に、出展企業が増えたことで、出展費用も増大した。あまりにも人が集まるため、近くのホテルは一年前でも予約が困難となり、かつ高額な宿泊料となった。ホテル側は高額な宿泊費を、COMDEX参加者がほとんどカジノで金を使わないためであるとした。 1981年春にニューヨークで COMDEX/Spring が開催され、1982年にはアトランティックシティで開催された。その後1983年から1988年まではアトランタで開催され、その後はアトランタとシカゴでほぼ交互に開催されることとなった(ただし、アトランタオリンピックのころには2年連続でシカゴで開催された)。COMDEX/Spring の最後の開催は、2003年4月、シカゴでの開催であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「COMDEX」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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