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DD戦車(-せんしゃ、Duplex Drive tanks)とは、第二次世界大戦中に開発された水陸両用戦車のこと。DDはDuplex Drive(複合駆動)の略であるが、しばしばドナルドダック戦車(Donald Duck tanks)と渾名される。この呼称は特に、1944年のノルマンディー上陸作戦緒戦にて連合軍が用いたM4中戦車をさす場合に使われることが多い。 これ以前にも、水陸両用の無限軌道車両LVTが1942年から43年にかけ太平洋戦争でのソロモン諸島の戦いで、DUKWが1943年のハスキー作戦でそれぞれ投入され、フォード製ジープの浮航可能型が1944年に登場、またソ連では1930年代に水陸両用豆戦車が開発されるなどしていたが、浮航可能な「中」戦車であるDD戦車はこれらとは異なる独特な設計上の問題を抱えていた。 DD戦車は、海岸線に上陸する歩兵部隊の第一波が支援の戦車無しでは敵の攻撃に対し極めて脆弱であることから着想された。とはいえ、支援用の戦車を上陸用舟艇で運搬すれば、戦車自体が舟艇もろともドイツ軍の火砲の恰好の標的になってしまうことが考えられた。このとき大量の上陸用舟艇が失われれば、沖に控える艦船からの増援部隊の輸送が鈍り、上陸作戦そのものの失敗に繋がる恐れがあった。戦車そのものに浮航能力を付与すれば、戦車は海岸から数マイル離れた地点で上陸用舟艇から下ろせばそこから自力で海岸に到達でき、舟艇の大量損失を防げると考えられた。 DD戦車は上陸作戦を支援するべく投入されたホバーズ・ファニーズ(Hobart's Funnies)として知られる一連の特殊戦闘車両の一つである。これらは主に既存の戦闘車両を改造し、地雷処理や架橋といった、本来とは異なる能力を与えた車両である。これらを大々的に用いたのはイギリス軍とカナダ軍であったが、シャーマンDDのみノルマンディー上陸作戦中、アメリカ軍によって使用された。 == 開発 == 水陸両用戦車は第一次世界大戦中に発明され、ちょうど大戦が終結した1918年11月にはイギリス軍のMark IX戦車の浮航可能型が試験されていた。開発は戦間期にも続けられた。このころの浮航型水陸両用戦車は大まかに二つの種類に分類できた:〔http://www.d-daytanks.org.uk/articles/developing-tank.html 14 April, 2005〕 * 自然の浮力を利用したもの(これらは一般に戦力として使い物にならないほど小さいか、もしくは大きすぎて実用性を欠いた) * 通常の戦車に浮航用の装備を取り付けたもの(こちらは上陸用舟艇に載せるには大きすぎた) 1941年、英国にてハンガリー出身の技術者であるニコラス・ストラウスラーが防水生地を用いた折りたたみ式の防水スクリーン型の浮きを考案し、旧来の水陸両用戦車が直面していた問題を解決した。これにより戦車の体積を極端に増加させることなく浮航能力を付与することが可能となったが、浮航できるのは穏やかな水面でのみであった。 初めにこの浮きはMk.VIIテトラーク軽戦車に実験的に取り付けられ、1941年6月にはロンドン北部のブレント貯水池(Brent Reservoir)〔にてアラン・ブルック将軍立ち会いのもと最初の試験が行われた。奇妙にも、同地は23年前Mark IX戦車の浮航型がテストされた場所でもあった。テトラーク軽戦車を用いた海上試験はポーツマス港のヘイリング島周辺で行われ、満足な結果が得られたため、バレンタイン歩兵戦車をベースとした生産型DD戦車の開発許可が下りた。 多少の損害を被りながらも、アメリカ軍、イギリス軍、そしてカナダ軍のDD戦車搭乗員の多くがこのバレンタイン歩兵戦車のDDで予行訓練を行った。〔BBC history - The Untold Story' 14 April, 2005〕 1944年までには、バレンタイン歩兵戦車よりM4中戦車の方がこの浮航装置を装着するのに適しているということが明らかとなった。特に、M4中戦車ならば陸地に近づいたとき即座に射撃できるよう戦車砲を前に向けたまま浮航できることが大きかった。また、バレンタイン歩兵戦車は古く、設計も劣っていた。M4中戦車のDD戦車化にあたって、車体下部のシーリング、プロペラ駆動装置、車体を一周するストラウスラー式防水スクリーンとそれの膨張装置の追加といった改造が行われた。 防水布製のスクリーン型浮航装置は戦車の車体に溶接された金属フレームに取り付けられていた。スクリーンは水平方向は金属の輪で、垂直方向は36本のゴムチューブでそれぞれ支えられていた。このゴムチューブを圧縮空気ボンベを利用した装置で膨張させることによりスクリーンを堅固なものとした。スクリーンは15分で膨張でき、海岸に到着次第迅速にしぼませることができた。戦闘中、浮航装置は消耗品とみなされ、状況が許す限り早急に搭乗員が車体から取り外し、破棄することを想定していた。〔 〕 推進力は後部に装着された1対のプロペラから供給された。M4中戦車の場合、変速機の形状の為ギアボックスからプロペラ用のドライブシャフトを直に伸ばすことができなかった。この解決策として戦車の後部にスプロケットを装着したので、プロペラへの動力は戦車の履帯から供給されることとなった。DD戦車の航行速度は最大4ノット(7km/h)であった。〔 浮航時には指揮官と操縦士が操舵できるようになっていた。操縦士は水圧式の操舵装置を通じてプロペラを旋回できた。砲塔のバスケットに立つ指揮官はスカートを通して視界を確保でき、こちらは大きなかじの柄を使って操舵した。 浮航装置はクロムウェル巡航戦車やチャーチル歩兵戦車のDD戦車化も考慮して設計されていたが、結局これらが完成することはなかった。また、火炎放射器を装備したユニバーサルキャリアに浮航能力を付与した車両もテストされたが、こちらは結局火炎放射器装備のDDシャーマン中戦車となった。これは火炎放射戦車チャーチル・クロコダイルと同様に装甲化された燃料トレーラーを牽引するもので、このトレーラーにも空気で膨張させるタイプの浮航装置が取り付けられていた。〔 〕 戦争終結後、センチュリオンにDD戦車同様のスクリーン型浮航装置とDDを付与したものが試作された。1950年代の終わりには、主力戦車の重量増大に伴って実用的な浮航が不可能となったため、DD戦車の開発は部分的に終息した。1960年代末にもDD戦車と類似の装置でセンチュリオン戦車を浮航可能にする実験が行われたが、このとき用いられた装置はDD戦車のものと異なり、折りたたみできる布製のスクリーンではなく硬いパネルが使われていた。〔 〕. より軽量な車両をスクリーンによって水陸両用にすることは1980年代まで続けられたが、これらはDD戦車式の駆動装置は持たなかった。プロペラを装備する代わりに水上での推進力にも陸上走行用の駆動輪(例えば履帯など)を用いたのである。これに該当する車両としては、スウェーデン軍のStrv.103、アメリカ軍のM551軽戦車、イギリス軍のFV432装甲兵員輸送車、フェレット Mk 5装甲車や初期型のM2ブラッドレー歩兵戦闘車などがあげられる。この中で現役なのはFV432とブラッドレー歩兵戦闘車のみであるが、現在これらにおいてもスクリーン型浮航装置は廃止されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「DD戦車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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