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DJアシュバ(DJ Ashba, 本名:Daren Jay Ashba, 1972年11月10日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州モンティチェロ出身のミュージシャン、ギタリスト、ソングライター。インディアナ州モンティチェロ出身。 2009年より、ロビン・フィンクの後任として、ガンズ・アンド・ローゼズに参加。 ギタリストとしてだけでなく、作曲でも高い音楽性が評価されており、様々なアーティストに楽曲を提供している。キース・リチャーズを彷彿とさせる黒いアイシャドー、下唇のピアスと全身くまなく彫られたタトゥーが特徴。 == バイオグラフィ == 1歳の頃に、一家でイリノイ州の小さな田舎町に移る。その後両親が別れ、ピアニストの母親の元で育てられる。母親の方針で、家にはテレビがなかった。3歳で母にピアノの手ほどきを受け、5歳でリサイタルを開く。6歳でドラムを始める。8歳の頃に、シアーズのカタログで89ドルのギターを買うため、農場で1年間アルバイトをした。アルバイトに通うバスの中で、地元のバンドのギタリストと知り合い、バスの木の背もたれにナイフ弦を彫り、コードを教わった。1日17時間部屋に籠もって、ギターの練習に明け暮れていたことも。 16歳の誕生日に父親に連れられ、初めてモトリー・クルーの「ガールズ・ガールズ・ガールズ ツアー」のライブを体験する。「その瞬間、人生が変わった」と語っている。 19歳の頃、荷物を自分のミニバンに積み込み、ハリウッドに単身移住。「Barracuda」に加入。 1996年 ソロ・アルバム「アディクション・トゥ・ザ・フリンクション」リリース。 1998年 ブレット・ボーイズに、ドラマーのスティーブン・アドラー(元ガンズ・アンド・ローゼズ)の後任として参加。 1999年 Bang Tangoのヴォーカル、ジョー・ラスティや、元L.A.ガンズ、ファスター・プシー・キャットのメンバーらと共に「ビューティフル・クリーチャーズ」を結成。ワーナー・ブロスと契約。マリリン・マンソンをプロデューサーに迎え、デビュー・アルバム「ビューティフル・クリーチャーズ」発表。「1.A.M.」はホラー映画「バレンタイン」やテレビ・シリーズ「Smallvile」のサントラに使われた。 2001年 キッスの前座に抜擢。Ozzfest2001に参加。マリリン・マンソンと共に初来日公演。 2002年 ビューティフル・クリーチャーズ脱退。 2003年 この頃、ニッキー・シックス(モトリー・クルー)に誘われ、一緒に曲作りをしたり、モトリー・クルーのツアーに参加。 2007年 ニッキー・シックス(モトリー・クルー)のプロジェクトSIXX:A.M.に参加。「ヘロイン・ダイアリーズ・サウンドトラック」を共同制作。モトリー・クルーのアルバム「セインツ・オブ・ロサンゼルス」にも楽曲を提供している。 2009年 ロビン・フィンクの後任として、ガンズ・アンド・ローゼズに参加。「ガンズ・アンド・ローゼズは尊敬するバンドで、アクセルと活動できるのは名誉なこと」と、ホームページにコメントを寄せている(アクセルは、「ローリング・ストーン」誌で、「DJアシュバには以前から目をつけていた」と話している。 同年12月 ガンズ・アンド・ローゼズ「チャイニーズ・デモクラシー」ワールドツアーで2度目の来日。ステージから飛び降りて東京ドームのアリーナを走り回ったり、ギターを叩き壊したり、日本語で叫んだりと、派手なパフォーマンスでガンズ・アンド・ローゼズのライブの盛り上げに徹している姿が見られた。 「GN'Rは今まで参加したバンドの中で一番結束が固い」とコメントしている。 2010年3月-7月 GN'Rのワールドツアーで南米、ロシア、北欧公演。 2012年12月18日 来日公演(ZEPP TOKYO) 2015年7月27日 ガンズ・アンド・ローゼズの脱退を発表。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「DJアシュバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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