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Deshabillz(デザビエ)は日本のインディーズヴィジュアル系バンド。1992年11月結成。翌年より活動を開始する。1998年5月にベーシストの美歪の死により活動を休止。2008年3月に、KISAKI(ex.Phantasmagoria)プロデュースの下、UNDER CODE PRODUCTIONよりマキシシングルをリリースし、活動を再開する。 == 概要 == *怪物を彷彿させるグロテスクなメイクと、血ノリをつけた衣装が特徴。当時LUNA SEAやFANATIC◇CRISISなど、綺麗な衣装が多かったヴィジュアル系バンドの中でも異端的な存在として注目されていた。SHUN曰く「カッコイイと見られるよりも、いかにグロテスクに、しかしどこか笑いがとれることでインパクトを残せるか」とのこと。また楽曲の冒頭や曲中に台詞を入れるのも、彼らの特徴の一つと言える。 *1992年にボーカルのSHUNを中心に結成し、当初は横浜界隅を中心に活動を行う。活動当初はデモテープなどを自主制作し、地元の他バンドのライブ会場などで配布するなどしていた。当時のヴィジュアル系バンドとしては、ライブ会場で音源を配布するという行為は珍しいことであった。 *その外見、音楽性故により個性的なファンが多く、ライブではあまり熱狂的にではなくむしろ静かにステージを見つめているファンが多かったという。また、他のバンドに比べると男性層のファンが多かったことも注目される。 *1994年6月にVOGUEのCHIKA、JEANA、黒夢の臣のプロデュースの下、ファーストアルバム「神従者」をティアーズ音楽事務所よりリリース。レーベル設立第一弾CDとして、BAISERのファーストアルバム「接吻」と同時リリースとなり、さらに大物アーティストがプロデュースを担当したことで注目を集めた。さらにその年の11月にはセカンドアルバム「精神離脱者」を発売することになり、この話を受けたSHUNは10日間で10曲を書き上げたという。 *1998年、X JAPANのギタリストhideが死去したため、Deshabillzのメンバーはライブ会場から直接葬儀会場まで機材車で向かうが、その途中で交通事故に遭い、美歪が亡くなるという悲劇が起きてしまう。この時Madeth gray'llのメンバーも同乗していて、当時のギタリストだった歪も共に亡くなっている。結果的にこの事件の後Deshabillzは活動を休止する形となる。しかしSHUNは、「解散したつもりはない」と発言していた。また、Deshabillzはメンバーチェンジが多かったが、当時のメンバーは最高の組み合わせだったとSHUNは語っている。 *その後SHUNは螺旋ウィルス、Domestic†Childで音楽活動を継続するが、およそ2年ほど表舞台に出たのを最後に小説の執筆などに専念し、音楽活動を断念してしまう。しかしある時、TEARS MUSIC代表の藤原靖弘に小説の刊行について相談したところ、「Deshabillzを復活させる」と逆に切り出され、サポート、プロデュースにKISAKIを迎え、2008年3月に改めて音楽活動を再開することになる。 *2011年11月27日、KISAKI PROJECTのライブイベントにてSHUNとSHI-NOと時雨と3人で活動を再開することになる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Deshabillz」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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