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D・J・フォンタナ : ミニ英和和英辞書
D・J・フォンタナ[でぃーじぇいふぉんたな]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


D・J・フォンタナ : ウィキペディア日本語版
D・J・フォンタナ[でぃーじぇいふぉんたな]

D・J・フォンタナと通称される、ドミニク・ジョセフ・フォンタナ(Dominic Joseph Fontana、1931年5月15日 - )は、14年間にわたってエルヴィス・プレスリードラマーを務めたことで知られる、ルイジアナ州シュリーブポート出身のアメリカ合衆国のミュージシャン。フォンタナは、プレスリーがRCAレコードで吹き込んだ曲のうち、460曲以上に演奏を残した。
「DJ」と通称されたフォンタナは、カントリー音楽を流すラジオ番組『ルイジアナ・ヘイライド (''Louisiana Hayride'')』に、毎週土曜日の放送に登場する専属ドラマーとして雇われた。1954年10月、フォンタナはプレスリーのためにドラムを演奏するよう雇われ、そこからその後足掛け15年に及ぶ両者の関係が始まった。フォンタナは、NBCのテレビ特別番組ELVIS』にも出演して演奏した。
フォンタナは、当初サム・フィリップスが集めた、スコティ・ムーアリードギター)、ビル・ブラックベース)、エルヴィス・プレスリー(リズムギター)から成る「ザ・ブルームーン・ボーイズ (The Blue Moon Boys)」と名乗るドラマーのいないバンドに、後から遅れて加わった。このバンドは、「ハートブレイク・ホテル」、「ハウンド・ドッグ」、「冷たくしないで (Don't Be Cruel)」、「監獄ロック」など、エルヴィス・プレスリーの1950年代におけるヒット曲の大部分において(ときにはピアノの演奏や、ザ・ジョーダネアーズバッキング・ボーカルも入れつつ)演奏を務め、録音を行なった。このバンドは広く各地をツアーし、何度もテレビ番組にも出ており、1956年1957年には『エド・サリヴァン・ショー』にも出演した。
このバンドは、1958年に解散となったが、フォンタナとプレスリーは、その後も1960年代を通して定期的に共演し、録音を行なっていた。その間、時にはムーアが加わることもあった。ムーアとフォンタナも共演を長く続けており、2002年には、ポール・マッカートニーを加えて「ザッツ・オール・ライト」を録音した。1958年以降、ブラックは彼らとの共演をすることはないまま、1965年に死去した。
1983年、フォンタナは、プレスリーと共演していた当時について、写真を多く用いた書籍『''D. J. Fontana Remembers Elvis''』を出版した。

2009年4月4日、フォンタナはロックの殿堂に「サイドマン部門」での殿堂入りを果たした
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「D・J・フォンタナ」の詳細全文を読む




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