|
飯塚 昌明(いいづか まさあき、1967年2月22日 - )は、日本のミュージシャン、作曲家、編曲家、ギタリスト。新潟県十日町市出身。既婚者。ミューズ音楽院を卒業している。 == 概要 == === 人物 === ユニット「雷蔵」「esq」「ウクレレカフェカルテット」や、バンド「F.E.N.」「BASXI」「六三四Musashi」「BLOODY RUBY」などのメンバーである。また長年つのだ☆ひろのサポートを務めており、バックバンドでギターを担当している。従兄の影響で実兄とともに小学校中学年の頃からギターを弾き始める。高学年のときにHR/HMバンド「KISS」と出会い、以来ギタリストへの道を歩み始める(本人曰く「大きくなったらKISSの人になりたい」と本気で思った)。 基本的に嫌いなギタリストはおらず、様々なジャンルのギタリストの演奏を幅広く聴いている。影響を受けたギタリストはエース・フレーリー、ランディ・ローズ、リッチー・ブラックモア、ゲイリー・ムーア、マイケル・シェンカー、ジョン・サイクス、イングヴェイ・マルムスティーン、高崎晃など。特にランディ・ローズは「見た目も音も大好きだった」(本人談)らしい。 アマチュア時代は作曲・編曲をほとんどしたことがない。初めて本格的に作曲をしたのはプロミュージシャンになってから、知り合いに勧められアニメソングのコンペに出品した作品。その後その曲が「3×3 EYES」の主題歌となった。 木目のギター(ESP HORIZON-II CLASSIC)を長く愛用しており、PV・ライブ・イベントなどでよく使用している(現在は頻度が減っている)。 ギターのほか楽曲製作のためにベースやドラム、キーボード、ウクレレなどを演奏することもある。キーボードは主にDTMで打ち込み作業の際片手で弾く、またはテンポを下げてゆっくりと弾く程度の腕であったが、GRANRODEO(後述)の初の武道館公演では初めて人前でピアノによる生演奏を披露した。 アンプの音にとても敏感で、レコーディングやリハーサルの際にも常に気にしており、また楽器屋に赴き様々な機種を試奏している。近年ライブDVDや雑誌のレポートなどでメディアに載ることも多くなってからは、音だけに留まらずステージ上の見た目(台数など)にも目を向けるようになった。 ミューズ音楽院で講師を務めていた当時の教え子に、音楽制作集団「Elements Garden」の代表上松範康がいる〔http://ameblo.jp/chakie-zuka222/entry-11348748368.html〕。 栗林みな実とのコラボレーションは、栗林のデビュー当時から好評を博しており、現在も楽曲のアレンジ、レコーディングへの参加やライブサポートを務めている。 2005年9月、谷山紀章と音楽ユニット「GRANRODEO(グランロデオ)」を結成。2008年よりESPとエンドース契約し、ライブ使用機材の提供を受けている。ただしそれ以前より同社の機材モニターをしていた。 2010年にESPにて自身初のシグネチャーモデルギター「RODEOholic」と、e-ZUKAモデルピック「PA-GRe10」が販売開始。以後6機種のシグネチャーモデルを製作されている。 2011年度よりMI JAPAN・GIT(ギター科)のスペシャルアドバイザーに就任。その後、同校とヤングギター誌の共催で行われるギターオーディション「GITマスターズ」において、「GITマスターズ2012」「GITマスターズ2013」では審査委員長を、「GITマスターズ2014」ではスーパーバイザーを務める〔GIT masters 2012 〕〔GIT masters 2013 〕〔MI JAPAN GIT MATERS 2014決勝大会動画レポート! 〕。 2011年5月、公式サイトで結婚したことを発表した〔ご報告 〕。 同年7月30日に南魚沼市民文化会館で開催予定だったGRANRODEOの公演が、平成23年7月新潟・福島豪雨のため延期。同年9月19日に同会館にて振替公演が行われた際、自身の出演料を全額十日町市に義援金として寄付した。〔十日町新聞 2011年09月25日 〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飯塚昌明」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|