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EF52形は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が、1928年(昭和3年)から製造した直流用電気機関車である。 本項では、本形式の派生形であるEF54形及びその改造形であるEF14形についても記述する。 ==EF52形== ===概要=== 大正時代後期以降、東海道本線・横須賀線での電化に伴って、欧米から多くの電気機関車が輸入された。しかし輸入電気機関車には信頼性が低いものも多く、多形式がそれぞれ少量輸入されて保守にも問題があること、また日立製作所がED15形を開発したことで国内メーカーの製造能力にも目処が立ったため、国産化を促進する意図から統一規格の電気機関車を製造することになった。 この国産電気機関車計画は1925年(大正14年)から立ち上げられ、輸入機関車の中でも使用成績の良かったアメリカのウェスティングハウス社製のEF51形、ED53形を参考にして開発が行われることになった。 新型機関車の開発・製造には、日立製作所、芝浦製作所(現・東芝)・汽車製造、三菱電機、川崎造船所・川崎車輛(現・川崎重工業車両カンパニー)が携わっているが、重電メーカー各社を鉄道省側が統制し、共通設計機として協同開発に当たらせることで、規格統一とメーカー各社の全体的な技術力向上を図っている。システムの全体構成自体は概してウェスティングハウスの流れを汲むが、補機類には芝浦が提携していたゼネラル・エレクトリック系の技術や、日立製作所・三菱電機等の独自開発機器も盛り込まれた。 本格的な開発は1927年(昭和2年)5月から開始された。当初は「国産大型機関車開発への初挑戦」に際しての信頼性への危惧から、低速な貨物用機関車として計画されたが、開発途上で旅客列車牽引も考慮してやや高速寄りにギア比を変更した。それでも徹底した高速性能は追求せず、定格速度を抑えた普通列車向けの性能に設定された。 翌1928年5月に初号機完成、6月から東京 - 国府津間での試験を行って一定性能を発揮することを確認したうえで、本格生産を開始した。 当時の日本の技術水準に適応した慎重な設計を用いて手堅さを狙ったにもかかわらず、必ずしも性能や信頼性の面で完全に満足のいくものではなかったが、設計の基礎的方向性は適切であり、その後の「省形電気機関車」の基本として踏襲された。続いてこれをベースに小型化した貨物用の中型機ED16形が製造されたのを皮切りに、鉄道省では電気機関車の国産化を進展させることになる。 EF52形は1931年(昭和6年)までに9両が製造されたが、最後に落成した2両(8, 9)は、高速性能の向上を狙って歯車比が小さく(3.45 → 2.63)されており、1932年(昭和7年)にEF54形に改称された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄EF52形電気機関車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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