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「ELVIS」は1968年12月3日午後9時にアメリカで放送されたテレビ番組。通称「68カムバック・スペシャル」。 全米での視聴率は42%〔’68カムバック・スペシャル-デラックス・エディションDVD ライナーノーツ〕 で過去1年間のNBCの番組で最高の視聴率であり季間の全番組中トップだった。 瞬間視聴率は70%を超え〔http://www.sonymusic.co.jp/artist/elvispresley/discography/BVCZ-35105〕、他の資料では70.2%〔ワークス・オブ・エルヴィス 103P〕、72%〔エルヴィス雑学ノート 9P〕とされている。 イギリスでは12月31日にBBC2で、日本では1970年1月3日にフジテレビで放送された。日本での視聴率は8パーセント〔ワークス・オブ・エルヴィス 103P〕。 エルヴィス・プレスリーにとっては1960年5月のThe Frank Sinatra Timex Show以来のTV出演で、1961年3月25日のハワイでの公演以来7年ぶりの観客を前にしてのショーだった。 == 解説 == パーカー大佐はこのクリスマス・スペシャルの独占ネットワーク権と引き換えに映画の制作費を工面してもらうという契約をNBCと取り付け、1968年1月に番組を制作することが発表された。 当初パーカー大佐はエルヴィスにクリスマス・ソングだけを26曲ほど歌わせる番組にしようとしたが、 TV番組のプロデューサー兼ディレクターであるスティーヴ・ビンダーと、プロデューサー兼エンジニアのボーンズ・ハウはそれに反対し、最終的にクリスマスソングは1曲だけということに決まった。 製作期間中エルヴィスはNBCスタジオ4で生活し、リハーサル後に何時間にも及ぶジャムセッションが行われることもあり、それを見たスティーヴ・ビンダーはこれをステージ上で再現させ番組に取り入れることに決めパーカー大佐を説得し、エルヴィスはそれならスコティ・ムーアとD.J.フォンタナを呼びたいと言い2人がスタジオに呼ばれ1週間リハーサルを行った。 スコティ・ムーアやD.J.フォンタナと同じ初期の仲間であるビル・ブラックは65年10月21日に脳腫瘍のため39歳で死去していたため参加は不可能だった。〔ザ・キング・オブ・ロックン・ロール コンプリート50’sマスターズ ライナーノーツ75P〕 また、ジョーダネアーズにも出演の依頼がなされたがスケジュールの都合で出演は叶わなかった〔エルビス ジェリー・ホプキンズ著 341P〕。 ある日、スティーヴはエルヴィスにサンセット大通りに出てみたらどんなことになるかやってみないかと提案し、 午後4時にスティーヴ・ビンダーとエルヴィス、エルヴィスの友人のジョー・エスポジートの3人でクラシック・キャット(トップレス・バー)の外に立ってみたが何の騒ぎも起きなかったという〔エルビス ジェリー・ホプキンズ著 339,340P〕。 1968年6月20日からバーバンクのNBCスタジオで番組制作が開始され、6月27日にシットダウン・ショウ、27日から28日にかけてギターマン・プロダクション・ナンバー、29日にスタンドアップショウ、30日にオープニングとクロージング、ゴスペル・プロダクション・ナンバーの撮影が行われた。 スタンド・アップ・ショーではフルオーケストラと、フィル・スペクターのレコーディングで有名なレッキングクルーと呼ばれるセッションミュージシャン達が起用された。 エルヴィスはオーケストラをバックにして歌った経験がなかったため、もしも自分の満足しないサウンドだったらリズムセクションだけを残して撤収してもらうようにスティーヴ・ビンダーに言ったが、エルヴィスはオーケストラのサウンドを気に入り満足した。 番組の最後の曲はエルヴィスはフランキー・レインの「because」のカヴァーで締めくくりたいと考えており、パーカー大佐は「クリスマスは我が家で」がいいと言ったが、ボーンズ・ハウは時代に即していてインパクトのある曲であるべきだと強く主張し、アール・ブラウンに作曲を依頼しマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師のI Have a Dreamへのアンサーソングとして作られた「明日への願い」がショーを締めくくることに決まった。 「明日への願い」のエルヴィスのヴォーカルトラックは2種類使われ1つはシングル用に、撮影があった週の後日に録音したもう1つのテイクが番組とサウンドトラックで使われた〔68カムバック・スペシャル・ボックス~40周年記念エディション ライナーノーツ〕。 エルヴィスはショーの試写を4度も繰り返し見て、スティーヴ・ビンダーに「自分で良いと思わない歌は歌わないし、良いと思わない映画には2度と出たくない」と言った〔フロム・ナッシュヴィル・トゥ・メンフィス ジ・エッセンシャルズ60’sマスターズ ライナーノーツ41P〕。 1969年に再放送された際には季節が違うということで「ブルー・クリスマス」が外され「タイガー・マン」に差し替えられて放送された。 作家で文化評論家のグリル・マーカスは1975年の自著の「ミステリー・トレイン」の中で’68カムバック・スペシャルのサウンドトラックについて次のように述べている。 「彼の音楽の歴史上最高の作品だ。もし血を流す音楽があるとするなら間違いなくそれはこの作品のことである」〔68カムバック・スペシャル・ボックス~40周年記念エディション ライナーノーツ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ELVIS」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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