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エントゥームド (Entombed) は、スウェーデンのストックホルム出身のデスメタルバンドである。スウェーデンのデスメタルシーンの創生期から活躍している。 最初の2枚のアルバムはストックホルムのサンライト・スタジオでトーマス・スコッグスベリをプロデューサーに迎え、共にレコーディングを行い、チリチリとした高音のギターサウンドが特徴的なスウェディッシュ・メタルのサウンドをディスメンバーらと共に確立させ世界中に影響を与えた。今でも北欧デスメタルと言えば当時の彼らのようなサウンドのことを指すことが多い。 その後のロックンロールにデスメタルのエッジを加えたかのようなサウンドに変化し、デス・アンド・ロール(Death 'N' Roll)と呼ばれるようになった。ドラムのニッケ・アンダーソンが脱退後の5thアルバム『Same Difference』ではオルタナティブ・ロック寄りのサウンドになったが、6thアルバム『Uprising』より再びモーターヘッドばりの暴走デス・アンド・ロールに回帰した。 また、2002年にはスウェーデン、ストックホルムのスウェーデン王立歌劇場でスウェーデン王立バレエ団とエントゥームドが競演するという公演が8回行われ大盛況を迎えた。これはエントゥームドがバレエ公演用の曲を演奏するのではなく、エントゥームドの曲(勿論デスボイスで歌っている)に合わせてバレエ団が踊るという大変実験的なものであったらしい。この公演の様子は『Unreal Estate』としてCDでリリースされている。 == 略歴 == 1987年、ニヒリスト (Nihilist)として結成する。1989年、同名バンドの存在を知り、エントゥームド(Entombed)と改名する。数本のデモを作成後、イギリスのイヤーエイク・レコードと契約する。1990年、ストックホルムのサンライト・スタジオでトーマス・スコッグスベリをプロデューサーに迎えレコーディングを行い、1stアルバム『Left Hand Path』(邦題:顛落(てんらく)への道)をリリースする。アルバムではベースはニッケ・アンダーソンとウフェ・セイダールンドが兼任する形となった。ちなみにアルバムの収録曲はほとんどがデモテープ(ニヒリスト時代も含む)に収録された曲である。 1991年、ベースにラーズ・ローゼンバーグが加入したが、ボーカルのL-G・ペトロフが脱退してしまいコメコンに加入してしまったので、代わりにニルバーナ2002のボーカリスト、オルヴァル・サフストロムをゲストに迎えシングル『Crawl』をリリース。続いてドラムのニッケ・アンダーソンがボーカルを兼任する形で2ndアルバム『Clandestine』(邦題:密葬)をリリースすることとなった。その後新ボーカルとして元カーネイジのジョニー・ドルデヴィックを加入させヨーロッパとアメリカをツアーした。1992年、イヤーエイク・レコードによるパッケージ・ツアー「ゴッズ・オブ・グラインド」をカーカス、カテドラル、コンフェッサーと共に行い、ツアーに合わせてシングル『Stranger Aemons』をリリースした。ジョニー・ドルデヴィックが脱退したのでL-G・ペトロフを再度加入させる事になった。 1993年、ミニアルバム『Hollowman』をリリースし、次いで3rdアルバム『Wolverine Blues』をリリース。1994年、ミニアルバム『Out of Hand』をリリース。1995年、ラーズ・ローゼンバーグが脱退し、後任にグレイブのユルゲン・スンドストロムが加入した。1996年、イヤーエイク・レコードを離れ、ミュージック・フォー・ネイションズと契約し、サンライト・スタジオでアルバムのレコーディングを行う。 1997年、3月にミュージック・フォー・ネイションズより4thアルバム『DCLXVI: To Ride, Shoot Straight and Speak the Truth』(邦題:スピーク・ザ・トゥルース!)をリリース。ニッケ・アンダーソンは1995年より活動していたサイド・プロジェクトヘラコプターズに専念するために脱退し、後任にフェイス・ダウンのドラマー、ピーター・スターンヴィンドを迎える。1998年、プロデューサーに初めてトーマス・スコッグスベリではなく、ダニエル・レイを起用してレコーディングを行い、5thアルバム『Same Difference』をリリース。また、古巣のイヤーエイクから、契約消化のためか1992年にロンドンのアストリアで行われた「ゴッズ・オブ・グラインド」ツアーのファイナル公演を記録したライブアルバム『Monkey Puss』がCDとビデオでリリースされる。ビデオはその後2001年にPVを加えてDVDとして発売された。またこの年に初来日公演を行う。 1999年、マンズ・ルーイン・レコードよりミニアルバム『Black Juju』をリリース。2000年、初のセルフ・プロデュース作となる6thアルバム『Uprising』をリリース。2001年、7thアルバム『Morning Star』をリリース。2002年、2月15日からスウェーデン、ストックホルムのロイヤル・オペラ・ハウスでロイヤル・バレエ団との公演が8回行われ大盛況を迎えた。2003年、8thアルバム『Inferno』をリリース。2004年、2002年3月1日にスウェーデン、ストックホルムのロイヤル・オペラ・ハウスで行われたロイヤル・バレエ団の公演が『Unreal Estate』としてリリースされた。 2006年に、初期メンバーのウフェ・セイダールンド、更に、ユルゲン・サントストロム、ピーター・スターンヴィンドの3名が脱退した。ニコ・エルグストランド (B)、オーレ・ダールステッド (Ds)が加入。2007年に、9thアルバム『Serpent Saints - The Ten Amendments』をリリース。2010年に、ニコ・エルグストランドがギターに転向し、ヴィクトル・ブラント (B)が加入した。 2013年にセンチュリー・メディア・レコードに移籍し、10thアルバム『Back to the Front』をリリースする予定だったが、「予測不可能な技術的問題」発売が延期された〔エントゥームド A.D.の最新作「みんなの好きなエントゥームドに666%忠実なアルバム」 2014年12月12日。〕。2014年1月、アレックス・ヘリッドを除く4名がエントゥームドから脱退し、新たにエントゥームド A.D. (Entombed A.D.)を立ち上げた。10thアルバムになる予定だった『Back to the Front』は、元々アレックスは参加しておらず、エントゥームド A.D.名義でリリースされることとなった〔。バンド名を変更した理由は、バンド名の所有権がアレックス・ヘリッド、L-G・ペトロフ、ウッフェ・セダールンド(元ギタリスト)、ニッケ・アンダーソン (元ドラマー)の4名にあるためであった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エントゥームド」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Entombed (band) 」があります。 スポンサード リンク
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