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FIAT3000はイタリアの軽戦車である。 == 概要 == フランスのルノー FT-17 軽戦車を元に開発され、1920年6月に試作車輌が完成、1921年に制式化され、これを「フィアット3000突撃戦車 1921年型」または「フィアット3000A」と呼び、1923年に量産が開始された。生産数100輌。1929年には改良型の「フィアット突撃戦車 1930年型」または「フィアット3000B」の試作車輌が完成、1930年に制式化された。生産数は52輌。 1921年型では空冷式の「SIA Mod.1918 6.5 mm 軽機関銃」(設計はアビエル・ベテル・レベリで、製造会社はSIA(Società Italiana Aeroplani、イタリア航空機会社))を砲塔に2挺搭載していたが、1930年型では「ヴィッカース・テルニ M30 40口径37 mm 砲」を砲塔に1門搭載している。この砲は1920年代後半に開発された対戦車砲で、初速640m/s、射距離100mで30度の傾斜装甲板に対し47mmの装甲貫徹力を持つ。この砲は後にM11/39やフィアット611装甲車にも搭載されている。 エンジン出力と路上最高速度も1921年型の45hp~50hp(21km/h)から、1930年型の63hp~65hp(24km/h)に向上している〔最高速度に関しては情報源により混乱している。各国語版のWikipediaも1921年型を24km/h、1930年型を21km/hとするものと、1921年型を21km/h、1930年型を24km/hとするものが存在する。〕。 ルノーFTとの違いとして、車体後部の両側面に消音器が付いている(ルノーFTは車体後部の右側面のみ)。尾橇は1930年代後半には撤去された。 なお、1930年代後半に名称変更が行われ、6.5 mm 機関銃装備型は L5/21、37 mm 砲装備型は L5/30 と呼ばれるようになった。 同時期に、L5/21軽戦車90輌が、「SIA Mod.1918 6.5mm 軽機関銃」から、「フィアット レベリ M35 8mm 重機関銃」または「ブレダ M38 8mm 重機関銃」に換装された。 第二次世界大戦時には既に旧式化して治安維持や要地警備に用いられていた。1943年のシチリア島における戦いでもいまだ使用されており、連合軍と砲火を交えている。 日本でも1930年代初期に、FIAT3000Bを数輌輸入している。同時期に輸入したルノー NC27 軽戦車やヴィッカース 6トン戦車との比較検討用と考えられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「FIAT3000」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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