|
GAZ(ガズ、ガス、)は、ロシアのニジニ・ノヴゴロドにある自動車メーカーである。 (GAZ)は、もともと()の略で、「ゴーリキー自動車工場」という意味である。 1929年に、フォード・モーターとソビエト連邦の共同事業としてNNAZ(ニジニ・ノヴゴロド自動車工場)という名前で創業した。1932年に市の名前がマクシム・ゴーリキーにちなんだ「ゴーリキー市」に変わったのに伴って、社名も現行のものに変更された。1935年-1956年の間は、ヴャチェスラフ・モロトフにちなんだ「モロトフ記念工場」という名称であった。 現在は、株式会社「自動車工場GAZ」やウラル自動車工場(UralAZ)などを抱える大規模企業グループとなっている。 == 概要 == この工場で作られた最初のモデルは、フォード・モデルAをベースにした中型乗用車GAZ-Aと、フォード・モデルAAをベースにしたトラックシャーシのGAZ-AAであった。いずれもフォードが1929年下期にモデルAおよびモデルAAのビッグマイナーチェンジを行って捻出された、前期型モデル製造用の中古ツールで生産されたものである。GAZ-Aの生産は1932年-1936年まで続き、10万台以上が作られた。 Aは、フォードV8の旧モデルのボディプレスを買い取って生産したGAZ-M1に引き継がれ、1936年-1942年まで生産された(当時のフォードは毎年ボディ形状を変えており、GAZへの中古プレス型譲渡を定期的に行っていた)。Mの文字はモロトフの名前にちなみ、この車にはM'ka()というニックネームが付けられた。戦前型GAZはベースのフォードをロシア流に読んだ「フォルト」と通称された。 AとM1の経験を生かし、GAZの技術者はフォードに頼らない国産車の開発に取り組んだ。第二次世界大戦の1942年にGAZ-11の生産が開始され、戦後の1946年まで続いた。1941年にはM2のボディの供給が縮小され、初の全輪駆動のGAZ-61が作られた。一方で戦争中には、アメリカ合衆国とのレンドリースに伴う輸入部品を用い、シボレーG7107とG7117の組み立ても行っていた。 大戦中、GAZの技術者たちは、戦後に製造されることになる全ての新モデル開発に着手していた。GAZ-M20 ポベーダ(ポピェーダ)と呼ばれる、セミモノコック・前輪独立懸架の2.1リッター級中型セダンの製造は1946年に始まり1958年まで続いた(このモデルはポーランドのFSO社でもライセンス生産され、ワルシャワという車名で1970年代まで生産が続いた)。GAZ-72という全輪駆動タイプのものも小規模ながらも生産された。 以後は6気筒の上級モデル開発なども進め、1950年代後期以降はポベーダの後継モデルとして同クラスだが近代化されたデザインを持つ中型セダンの「ヴォルガ」や、V型8気筒エンジン搭載の大型乗用車「チャイカ」を開発、ソ連における中級-上級車のメーカーとしての地位を得た。ヴォルガは1960年代中期設計のモデルが2000年代後期に至っても未だにリデザインされながら生産され続けている。 GAZは、GAZel・GAZ-66のようなトラック、GAZ-69やGAZ-2330 ティーグルのような四輪駆動車、SU-76・BTRシリーズ・BRDM-2など軍用装甲車輌の生産も行っている。 なお、GAZはソ連時代のゴーリキー自動車工場時代に、VAZ(ヴォルガ自動車工場)製のロータリーエンジンの供給を受けて、自工場の車両に搭載していた事が近年になって知られるようになった。GAZ製ロータリーエンジン搭載車両の特筆すべき点は、GAZ 3102のKGBを始めとする官公庁専用販売グレードや高級官僚向けリムジンGAZ 14"チャイカ"に3ローターエンジン搭載車をラインナップしていた事である。3ローターの市販車両への採用例はマツダのユーノス・コスモを除けば、世界的にもGAZ製車両にしか例が無い。しかし、これらのソ連製ロータリーエンジンは、冷戦時代にNSUやマツダへのライセンス料を支払わずに生産を行っていた関係で、現在エンジンメーカーのVAZも表立ってロータリーエンジンの存在をアピールしておらず、ロシア語の言語の壁もあり西側英語圏諸国も含めて、ロシア国外へは未だにその全容が十分に伝わってきていないのが現状である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「GAZ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|