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GAZ-69 () は、1950年代にソビエト連邦のゴーリキー自動車工場 (ゴーリキー・アフタマヴィーリヌイ・ザヴォート、GAZ) で開発された4×4輪駆動の小型軍用車両である。 1953年から1955年にかけてGAZ、1954年から1972年にかけては同じソ連のウリヤノフスク自動車工場 (ウリヤノフスク・アフタマヴィーリヌイ・ザヴォート、UAZ)で生産が行われた。このことから本車をUAZ-69と表現していることもあるが、基本的にはUAZでの生産分も含めてGAZ-69と呼ばれる。 == 概要 == GAZ-69は、第二次世界大戦時にアメリカ軍から供与されたジープ、およびジープを参考にGAZが製造した"ソ連版ジープ"であるの後継車種として開発された。エンジンはGAZ-67の後期型であるGAZ-67Bと同じ出力55hpの2.1Lガソリンエンジンを搭載し、変速機は乗用車タイプのGAZ-M20 ポピェーダと同じ3速マニュアルが使用された。 GAZ-69の開発は1946年に始まり、最初の試作車 "Truzhenik" は1948年に完成した。運用試験が行われた後、1953年からGAZの工場で本格的な生産が始まった。しかしながら当時のGAZでは市販乗用車のGAZ-12 ZIMやGAZ-M20 ポピェーダ、GAZ-21 ヴォルガなどの製造などもあってあまり余裕がなく〔、1954年から1956年にかけて生産拠点を新たに設立されたウリヤノフスク自動車工場 (UAZ)に移動する対応が行われた〔。生産はUAZで引き続き継続し、1971年に生産が終了するまでにGAZおよびUAZで計634,285両が生産された〔。 主要生産型は2種類あり、2ドアのピックアップトラック型が"GAZ-69" (生産数 356,624両〔)、4ドアの乗用車型が"GAZ-69A" (生産数 230,185両〔)と分類される。いずれもGAZ-67Bと同じ出力55hpの2.1Lガソリンエンジンを搭載し、最高速度は時速90kmであった。 生産後期にはエンジンを出力65hpの2.4Lガソリンエンジンに換装し、最高速度が時速95kmとなった改良型のGAZ-69M (2ドアピックアップトラック型)、GAZ-69AM (4ドア乗用車型)、が生産された。改良型のGAZ-69M/AMの生産数は合わせて10,551両であった〔。1960年代にはUAZがGAZ-69をベースにUAZ-452を開発し平行して生産が行われ、1972年にはUAZによってGAZ-69の後継車種となるUAZ-469が開発された。 GAZ-69はソビエト連邦軍で広く使用された他、他国でもライセンス生産、コピー生産が行われた〔Thompson, Andy. ''Cars of the Soviet Union'' (Haynes Publishing, Somerset, UK, 2008), p. 70.〕。ルーマニアのARO社ではIMS-57 (1957年-1959年、914両)、M59 (1959年-1963年、3,222両)、 (1964年-1975年、80,233両)と名称を変えながら計84,369両が生産され、他国への輸出も行われた。また、北朝鮮の勝利自動車工場においても"勝利-4.15"、"更正-64"などの名称でライセンス生産ないしコピー生産が行われている。 GAZ-69のその他の派生型としては、車体後部に対戦車ミサイルを搭載した"2P26" 自走対戦車ミサイルや、GAZ-69の走行装置にアメリカ製の水陸両用ジープ"フォード GPA"の車体構造をコピーして一回り大きくした車体を搭載したがある。'' (1964年-1975年、80,233両)と名称を変えながら計84,369両が生産され、他国への輸出も行われた。また、北朝鮮の勝利自動車工場においても"勝利-4.15"、"更正-64"などの名称でライセンス生産ないしコピー生産が行われている。 GAZ-69のその他の派生型としては、車体後部に対戦車ミサイルを搭載した"2P26" 自走対戦車ミサイルや、GAZ-69の走行装置にアメリカ製の水陸両用ジープ"フォード GPA"の車体構造をコピーして一回り大きくした車体を搭載したがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「GAZ-69」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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