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インターコンチネンタル王座(Intercontinental Championship)はアメリカ合衆国のプロレス団体WWEにおける王座のひとつである。日本では、英語の頭文字をとってIC王座という略称で表現されることも多い。WWF時代の1979年9月から1992年4月5日までは、WWFインターコンチンネンタル・ヘビー級王座(WWF Intercontinental Heavyweight Championship)が正式名称だった。 創設から30年以上の歴史がある。もともと当時のWWFヘビー級王座(現在のWWE・世界ヘビー級王座)に次ぐナンバー2タイトルとして位置付けられ〔初代王者パット・パターソンは戴冠時にヒールであったことから、この王座こそが団体最高位のタイトルであると主張し、当時のWWF王者ボブ・バックランドを挑発、抗争を展開した(WWE Yearly Results 1979 )。〕、三役クラスの選手や次代を担う新鋭によって争われた。現在でも、団体のエースを目指すプロレスラーの登竜門として、また最高位の王座争いストーリーに絡まないレスラーのための王座となっている。近年の王座争いでは、コフィ・キングストンやコーディ・ローデスの王座獲得が前者に、ザ・ミズの王座獲得が後者に該当する。 == 歴史 == 王座創設は1979年9月。同年6月19日にテッド・デビアスから「北米ヘビー級王座」を奪取したパット・パターソンが、その後ブラジルのリオデジャネイロで行われたとされる架空のトーナメントに優勝したと称し、北米と南米の両王座を統合して「インターコンチネンタル(大陸間)王座」と改称したことが始まり〔同年11月、パターソンは北米ヘビー級王者として新日本プロレスに来日し、11月8日に小樽で坂口征二に敗れタイトルを明け渡している(WWF North American Heavyweight Title History )。以降、「WWF認定北米ヘビー級王座」は新日本が管理することになった(『1945-1985 激動のスポーツ40年史(6)プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P160-161 / 1986年、ベースボール・マガジン社)。〕。 上記の通り、基本的にはトップ入りを目指す若手選手や世界王座戦線に絡まないレスラーが争う団体第2のタイトルであり、興行が行われる際も必然的に、世界王座戦より下のポジションで試合が組まれるのが普通である。しかし、ハルク・ホーガンやランディ・サベージ、アルティメット・ウォリアーらが主役を張っていたファミリーエンターテインメント路線から、ブレット・ハートやショーン・マイケルズらのニュージェネレーション路線への転換期となっていた1990年代初頭は、まだ主役級ではなかったが試合巧者な彼らの試合はファンを熱狂させ、PPV等で世界王座戦より上に試合が組まれることもあった。 2002年8月26日に、当時IC王者であったロブ・ヴァン・ダムが、ハードコア王座を保持していたトミー・ドリーマーを破り2冠。同時にハードコア王座はIC王座に統合される形で消滅した。 2002年10月20日、当時世界ヘビー級王者であったトリプルHが、IC王者のケインを破り2冠。同時にIC王座は一時消滅することとなった。このことに対してファンの不満は大きく、IC王座は2003年5月18日に復活した。 なお、1984年にはノンタイトル戦ながら新日本プロレスにおいて、当時のWWFインターコンチネンタル・ヘビー級王者のグレッグ・バレンタインとWWFインターナショナル・ヘビー級王者の藤波辰巳との対戦が実現している(結果は逆さ押さえ込みで藤波の勝利)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「WWE・インターコンチネンタル王座」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 WWE Intercontinental Championship 」があります。 スポンサード リンク
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