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International Refugee Organization (国連)国際難民救済機構 =========================== 「 IRO 」を含む部分一致用語の検索リンク〔 1 件 〕 ・IRO : International Refugee Organization (国連)国際難民救済機構
国際難民機関 (こくさいなんみんきかん、International Refugee Organization, IRO) は、第二次世界大戦によって生じた大量難民の問題に対処するために、1946年4月20日に設立された。準備委員会は、その14ヶ月前に活動を開始した。国際連合の専門機関であり、初期の連合国救済復興機関の機能の多くを継承した。1951年に活動を終了し、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) がこれに替わった。 国際難民機関憲章は1946年12月15日に国連総会によって採択され、機関の活動分野について規定した〔Constitution of the International Refugee Organization, December 15, 1946 , The Avaron Project.〕。同憲章は、母国から戦後ドイツへと追放された、あるいは追放予定である「ドイツ民族起源の人々」のことを、「当機関の関知しない」個人として定義したため、論争を呼んだ。同憲章は、欧州における他の強制追放者全体を総計で上回った集団を、対象範囲から除外した。また、西側同盟諸国とソ連との間に意見の相違があったため、IROは西側占領軍の管理地域でのみ活動した〔ソ連は、難民の第三国への定住斡旋に反対し、本国送還のみを行うべきだと主張したが、認められなかった。田畑茂二郎「国際難民機関」(『世界大百科事典』第8巻、平凡社、1965年)、544頁。〕。 IROは18ヶ国の批准によって成立した。オーストラリア、ベルギー、カナダ、中華民国(台湾)、デンマーク、ドミニカ共和国、フランス、グアテマラ、アイスランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、ニュージーランド、ノルウェー、スイス、イギリス、アメリカ合衆国、ベネズエラである。米国は、IROの年間予算1億5500万ドルの約40%を負担した〔IRO憲章の付属書IIによると、初年度の管理費は480万米ドル、運営費(大規模再定住費を除く)は151,060,500米ドル。このうち、米国はそれぞれ39.89%、45.75%を負担した。Constitution of the International Refugee Organization, December 15, 1946 , The Avaron Project.〕。同機関の初代事務局長はウィリアム・ハラム・タック (William Hallam Tuck) で、1949年7月31日にJ・ドナルド・キングズリー (J. Donald Kingsley) が同職を継承した。 1951年9月30日まで存続し、その間に定住を斡旋した難民は1,046,000人、本国送還を行った難民は74,000人にのぼった〔田畑茂二郎「国際難民機関」(『世界大百科事典』第8巻、平凡社、1965年)、544頁。〕。 ==フィルモグラフィ== *山河遥かなり(''The Search'':フレッド・ジンネマン、1948年) IROは、1945年のドイツにおける児童難民に関する映画の制作を支援した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国際難民機関」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 International Refugee Organisation 」があります。 スポンサード リンク
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