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IS-3(、、)は、第二次世界大戦末期においてソビエト連邦が開発した重戦車。 日本語文献においてもポーランド語やウクライナ語、ドイツ語や英語の表記に従ってJS-3と書かれることも少なくない。「IS/JS」とはヨシフ・スターリンのイニシャルであり、そのためスターリン3型重戦車とも呼ばれる。 == 概要 == IS-2戦車が量産に入っていたころ、ニコライ・ドゥホフの設計チームにより新型重戦車の試作型・キーロヴェッツ1が計画され、1944年10月31日に完成し、オブイェークト703の開発番号が与えられた。11、12月の間に10輌の増加試作型が製造され、年末に正式採用されたこの戦車はIS-3と名づけられ、翌年からチェリヤビンスク工場で量産に入った。 大戦中のソ連戦車は傾斜装甲を多用していたが本車は前面装甲にもそれを展開するほど徹底し、車高と砲塔の扁平さは当時としては極めて先鋭的であった。この特徴的な車体前面装甲は形状が似ている「シチュチー・ノス(川カマスの鼻)」と呼ばれ、「シチュカ(川カマス)」がIS-3その物に対する通称となった。〔月刊グランドパワー 2000年10月号 ソ連軍重戦車3 デルタ出版〕これはIS-2の前面装甲部分の欠点を解消した設計ではあるが、初期においては溶接の不良で振動(主砲の射撃時や路外地走行時等)により装甲が剥離するというトラブルが発生した。IS-3は重装甲と122mm砲を持つ重戦車であるにもかかわらず、45tとパンター戦車並みの重量しかなく、全長以外はそれ以下のサイズに抑えられていたが、これは内部容積を犠牲にした結果であり、主砲の発射速度などに悪い影響を与えた。 ベルリンにおける戦勝パレードで第2親衛戦車軍所属の52輌が披露された時、その先鋭的なシルエットと巨大な砲に他の連合軍首脳は度肝を抜かれ、これに対抗するためアメリカはM103重戦車、イギリスはコンカラーといった重戦車を開発することとなるが、時代の変化で重戦車というカテゴリーの有効性が失われていき、全て退役していった。 本車は1945年中に1,711輌、1948年から1951年までに600輌の総計2,311輌が生産され、後に拡大発展型のIS-8改めT-10を生み、IS-3自体も1960年から雑具箱を兼ねる車体側面装甲の変更やエンジンをV-55に換装する等の改修を加え、IS-3Mとなった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「IS-3」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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