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日本航空123便墜落事故(にほんこうくう123びんついらくじこ)は、1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、東京(羽田)発大阪(伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-100(ジャンボジェット、機体記号JA8119、製造番号20783〔日本の民間登録航空機検索データベース 〕)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(通称「御巣鷹の尾根」)〔事故当時、墜落地点は御巣鷹山と報道されたが、正確には高天原山系(たかまがはらさんけい)に属する無名の尾根であり、御巣鷹山の南隣に位置する。この尾根は後に、上野村村長であった黒沢丈夫によって事故現場に最も近い御巣鷹山から「御巣鷹の尾根」と命名された。〕に墜落した航空事故である。 == 概要 == 運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書〔事故調査報告書 〕によると、乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。死者数は日本国内で発生した航空機事故では2015年8月の時点で最多であり、墜落事故および単独機の航空事故でも世界最多である〔世界で最多の死者数を出した航空事故は1977年(昭和52年)3月27日に発生した「テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故」で、滑走路上で2機のボーイング747が激突した事故によって583名の死者を出している。〕〔この事故以前の単独機の航空機事故死者数が最多のものは1974年3月3日にフランス・パリ郊外で発生した「トルコ航空機墜落事故」の346名だった。〕。 夕方のラッシュ時とお盆の帰省ラッシュが重なったことなどにより、著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。特にこの事故を指して『日航機墜落事故』〔520本のろうそくに灯 日航機墜落事故から29年 朝日新聞〕『日航ジャンボ機墜落事故』〔日航ジャンボ機墜落事故から29年 慰霊登山 NHK・2014年8月12日、2014年8月13日観覧 〕と呼ばれることもある。 1987年(昭和62年)6月19日に航空事故調査委員会が公表した報告書では、同機が1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こしたしりもち着陸事故(後述)後の、ボーイング社の修理が不適切だったことによる圧力隔壁の破損が事故原因とされている。これをもって公式な原因調査は終了している。航空関係者や遺族などの一部からは再調査を求める声があるが〔123便事故機の残骸の保存と公開に関する申し入れ 日本航空乗員組合・日本航空ユニオン・日本航空機長組合・日本航空先任航空機関士組合・日本航空キャビンクルーユニオン〕、現在に至るまで行われていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「日本航空123便墜落事故」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Japan Airlines Flight 123 」があります。 スポンサード リンク
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