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ジャンピング・ボム・エンジェルス(Jumping Bomb Angels)は、全日本女子プロレスで活躍した立野記代と山崎五紀のタッグチームである。「JBエンジェルス」の略称で親しまれた。 == 概要 == ともに昭和56年組として入団した立野と山崎のタッグチームとして結成。当初は「フレッシュ・コンビ」というタッグ名であった。 1986年1月にWWWA世界タッグ王座を獲得。3月にはタッグチーム名「ジャンピング・ボム・エンジェルス」と命名され、CBSソニーからレコードデビューも果たす。 チーム名が示すように空中殺法を武器に、クラッシュギャルズのライバルとして1980年代後半の女子プロレスを盛り上げた。また、これほどの美女ペアは全女かつてなく、特に女子プロレス界の聖子ちゃんといわれた立野はグラビアなどに引っ張りだこだったが、山崎はそれほどでもなっかた。 さらにアメリカのWWFにも参戦。メインエベンターに抜擢され、1988年1月の第1回ロイヤルランブルではWWF世界女子タッグ王座を奪取。WWFではグラマー・ガールズ(レイラニ・カイ&ジュディ・マーチン)と抗争を展開した。また、聖地マディソン・スクエア・ガーデンのリングも経験している。 1989年5月14日、山崎の引退試合として「最後のJB対決」が執り行われ、これを最後に解散。 その後、山崎はフリーのレスラーとしてジャパン女子プロレスで現役復帰するも、2人で交わすことないまま1991年を以って寿引退。この年には立野も一度引退した。 一方、立野は翌年にLLPWで現役復帰。 2008年には結婚後渡米していた山崎も帰国してダンプ松本自主興行「極悪血祭り」にて、二度と再結成されないと思われていたJBエンジェルスも4試合限定で復活した。 2010年10月10日、立野が自主興行で引退。山崎はビデオレターでメッセージを送った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジャンピング・ボム・エンジェルス」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 The Jumping Bomb Angels 」があります。 スポンサード リンク
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