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ジェロ(, 本名:Jerome Charles White, Jr.(ジェローム・チャールズ・ホワイト・ジュニア)1981年9月4日 - )は、アメリカ合衆国・ペンシルベニア州ピッツバーグ出身の日本の演歌歌手、俳優。 「史上初の黒人演歌歌手」として多数のメディアに取り上げられた〔デイリースポーツ2008年2月1日付 史上初の黒人演歌歌手ジェロがデビュー 〕。「演歌界の黒船」との異名をとる。 == 略歴 == 1981年アフリカ系アメリカ人の両親のもとに生まれ、1990年頃からペンシルベニア州のピッツバーグで育つ〔Pittsburgh Post-Gazette 〕。母方の祖母は横浜出身の日本人で、その影響から幼少の頃より演歌に親しんできた〔。その祖母の演歌を倣い祖母へ披露するうちに、自らが演歌の虜になっていったという〔ビクターエンタテインメント JERO/ジェロ 〕。 父親がアフリカ系アメリカ人で母親がアフリカ系アメリカ人と日本人(祖母が日本人)のハーフであるため、ジェロ自身は4分の3がアフリカ系で4分の1が日本人のクォーターである。 特定非営利活動法人エデュケーション・ガーディアンシップ・グループ主催の第3回高校生による日本語スピーチコンテスト(Japanese Speech Award, JSA)に参加するために15歳になって初めて日本の地を踏む〔。スピーチタイトルは「ぼくのおばあちゃん」〔海外高校生による日本語スピーチコンテスト 〕。ダンスチームの主将を務めた高校時代を経て〔紅白出場なるか?演歌歌手「ジェロ」がデビュー! 2008年2月5日 - G-Searchデータベースサービス 〕、やがてピッツバーグ大学に進学し情報科学を専攻。在学中には関西外国語大学に3ヶ月間留学した。この留学期間中に演歌歌手になることを決意したという〔〔。 ピッツバーグ大学を2003年に卒業したのちに再び日本の地を踏み、和歌山県の英会話学校にて講師として働き、次いで大阪でコンピュータ技術者の仕事に就く。その傍ら、来日2ヵ月後に『NHKのど自慢』に出場し合格する〔JERO'S BLOG -ジェロのブログ- プロフィール〕など、日本各地のカラオケ大会に自ら応募したうえで出場し〔史上初の黒人演歌歌手ジェロがデビュー! その“こぶし”は本物だ 2008年2月19日 - 日経トレンディ〕、演歌歌手を目指して独自に活動を続けた。そして2005年、大阪市内で行われたカラオケ大会で優勝した際、ビクターエンタテインメント大阪のスカウトの目に留まり、オーディションを東京・渋谷のカラオケボックスで受けて合格。審査員は「礼儀正しく、何をリクエストしてもきれいに歌う」と評価している。 その後2年間に及ぶ訓練を経て、2008年にシングルの『海雪』でプロデビュー〔〔〔。デビュー日となった2月20日には、演歌歌手としては前例の無い渋谷HMVでのイベントを行い、デビュー曲を披露した〔黒人演歌歌手のジェロに歓声 2008年2月21日 - スポニチ〕。 2008年6月25日には初のミニアルバムを発売。8月27日(日本時間28日)には母校ピッツバーグ大学で無料凱旋ライブを行い、学生や地元住民など500人以上の聴衆がつめかけた〔ジェロ号泣…米国の祖母墓前にデビュー報告 2008年8月26日 - 産経ニュース〕〔Jero wows Pittsburgh audience 2008年8月29日 - The Japan Times〕〔Graduate Becoming Japan's Latest Music Sensation 2008年8月28日 - ThePittsburghChannel.com〕。 2008年10月19日、今度はプロの歌手として『NHKのど自慢』にゲスト出演、さらに2008年12月31日に行われた『第59回NHK紅白歌合戦』に初出場、実母も来日し会場で感涙した。ジェロはデビュー当初から亡き祖母のために紅白歌合戦出場を強く望んでいた。 2009年に行われたワシントンD.C.でのサクラ祭りでは、凱旋コンサートを開催し演歌3曲を熱唱した。 また、2008年12月30日にデビュー曲「海雪」で第50回日本レコード大賞の最優秀新人賞を受賞した。 2009年8月22日、『第41回思い出のメロディー』で近江俊郎の湯の町エレジーを披露。 2011年2月、米国のカリフォルニア大学バークレー校から「バークレー日本ニュー・ビジョン賞」を授与されることが決まった。クリント・イーストウッド監督に続き2人目の栄誉。同年4月8日に同校で授賞式に臨む。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ジェロ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Jero 」があります。 スポンサード リンク
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