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205系電車(205けいでんしゃ)は、1985年(昭和60年)に登場した直流通勤形電車。当初は日本国有鉄道(国鉄)により、また国鉄分割民営化後は東日本旅客鉄道(JR東日本)と西日本旅客鉄道(JR西日本)により設計・製造された。 本項では、番台区分および新製車については登場順に、投入や転属・転入については各社所属車別にそれぞれ記述する。 == 概要 == === 導入の経緯 === 1981年(昭和56年)より、103系に代わる省エネルギー通勤形電車として量産が開始された201系は、量産中にも様々なコストダウンを図りながらも1,000両を超える増備を行ってきた〔交友社「鉄道ファン」1985年4月号新車ガイド「205系デビュー」59-60頁記事。〕 。しかし、核となる電機子チョッパ制御の製造コストが非常に高価で、当時財政的に厳しい状況に置かれていた国鉄にとっては、より大幅なコストダウンの図れる車両が必要な状況にあった〔実際、国鉄では回生ブレーキの効果により、積算電力計からも経済的には201系への投資は十分に回収できていることが確認されている。(鉄道ファン1985年4月号より)〕。この時期には111系・115系などの老朽化置き換えを目的とした次期近郊形車両(現在の211系)用として開発していた「界磁添加励磁制御」方式を実用化に向けて試験を行っていた〔。また、同車には新開発の軽量ボルスタレス台車や軽量ステンレス構造、電気指令式ブレーキの採用計画などを進めていた〔。 その後、1984年度に1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正において横浜線・武蔵野線の輸送力増強を行うこととなり、山手線からこれらの路線へ103系を捻出するための通勤形車両が必要となった〔。この時点で既存の201系を山手線用に増備するのか、新形式車両を投入するかが迫られていた。そして、最終的には1984年(昭和59年)6月末に次期近郊形車両用のシステムを使用した通勤形車両として本系列の製造が決定された。乗務員訓練時期を含めたダイヤ改正の前に落成する必要性から、翌1985年1月末に第1編成の落成が決定され、デビューまでわずか7か月という非常に短期間で設計・製造が進められた。 なお、当初の国鉄における計画では首都圏全体の置き換え計画があり、山手線に次ぐ投入線区として中央・総武緩行線に集中投入する計画であった〔鉄道ピクトリアル2010年2月号記事を参照。これは当時の中央・総武緩行線運用車のうち中野電車区所属分では201系で統一されているが、津田沼電車区(その後習志野運輸区)所属分では101系・103系が運用されていたため、これらの置き換えを目的としたものである。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄205系電車」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 205 series 」があります。 スポンサード リンク
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