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50系客車(50けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が主に地方都市圏の通勤・通学時間帯の普通列車に使用する目的で1977年(昭和52年)より設計・製造された一般形客車の系列である(区分の経緯については#車両区分を参照)。国鉄規格「赤2号」の塗装から「レッドトレイン」とも称されていた〔日本交通公社『国鉄車両一覧』p 202〕〔イカロス出版『J-train』Vol44 p 30、p 48〕。 本州以南用の50形と、北海道用の51形があるが、基本的な設計コンセプトは同一であるため本項ではこの両形式、さらに同一の車体構造を有する荷物車マニ50形と郵便・荷物合造車スユニ50形についても併せて解説を行う。 == 概要 == 1970年代前半まで、地方都市圏(特に交流電化線区や非電化幹線)の旅客輸送には1920年代から1960年代にかけて製造された鋼製客車が多数使用されていた。これらの車両は優等列車の電車化・気動車化および12系客車の登場によって転用されたもので10系以前の客車は登場後しばらくは程度の良い車両が優等列車に使用され〔イカロス出版『J-train』vol.25 p. 27〕、後継車両の増備や置換えで捻出された中堅車や経年車は普通列車にも使用されるようになっていた〔特急形客車として製造された20系についてもほぼ同様で後継車である14系や24系の増備につれて次第に急行列車でも運用されるようになり、国鉄末期には20系の老朽化に伴い置換え用として14系や24系も結果的には急行列車にも使用されるようになった。〕。これは国鉄が普通列車用の客車の製造に消極的であったためである。しかし製造後20年から40年以上を経て老朽化・陳腐化が進行し、保守上の問題と乗客からの不評を顕在化させていた。このため一部の鉄道管理局では、室内の両端、あるいはすべての座席をロングシートに改造し、つり革を設置することで収容定員の増加が図られていたが、狭いデッキや出入口はそのままであり乗降の遅滞から列車遅延の原因となっていた。また自動扉をもたないこれらの客車は、走行中でも客用扉を開閉できるため乗客や荷物が転落する危険があり、保安上の問題となっていた。上記の問題を解決するために、新形車両の導入が求められていた。 輸送改善に際しては、当時行われていた荷物・郵便輸送への配慮〔荷物・郵便輸送においては、大都市部ではこれらの車両のみで編成される専用列車が多かったが、地方部では専用列車を運行するほどの需要がないため旅客列車に荷物車・郵便車を混結していた。これらの車両はそのまま幹線系の荷物列車に連結して継送するため直通運用を行う線区の郵便・荷物輸送は客車でおこなう必要があった。〕と、貨物輸送量の減少で機関車の余剰が発生していたことから、新形式客車を開発する方針が採られた。1両当たりの製造コストが気動車や電車よりも格段に安かったため地方部の通勤・通学時間帯に多く運転されていた比較的長編成の客車普通列車の置換え用として、余剰化した電気機関車やディーゼル機関車を有効活用し、輸送力増強やサービス改善を低コストで行うために製造された車両群が本系列である。 1979年(昭和54年)には鉄道友の会よりローレル賞を授与され、オハフ50 1の車内に記念プレートが取付けられた〔トップナンバーのオハ50 1は芸備線に新製配置されており、ローレル賞受賞の記念式典は同線で実施された。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄50系客車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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