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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ジョン・マックスウェル・クッツェー(John Maxwell Coetzee, 1940年2月9日 - )は南アフリカ出身の文学者で、2003年のノーベル文学賞の受賞者。 == 略歴 == クッツェーは南アフリカのケープタウンでアフリカーナーの家系に生まれた。少年時代をケープタウンと内陸の町ヴスターで、ハイスクールと大学時代をケープタウンで過ごし──この間のエピソードは回想記風の作品『少年時代』(1997年)や『Youth』(2002年、未訳)に詳しい──1960年に英文学の学位を、1961年に数学の学位を取得してケープタウン大学を卒業。 1961年に英国に渡り、コンピュータープログラマーとして働きながら、フォード・マドックス・フォードについて修士論文を書く。その後、1965年に渡米してテキサス大学オースティン校で学び、サミュエル・ベケットの初期作品の言語学的研究で博士号を取得。バッファローのニューヨーク州立大学で教壇に立ちながら作品を書き始める。 米国永住を希望していたが、ヴェトナム反戦の学内集会(学内に警察が常駐することへの教職員の反対集会)に出ていたとき参加者全員が逮捕されたことが原因でVISA取得がかなわず、1971年に南アフリカに帰国して、1972年からケープタウン大学で教職に就く。以後ここで2001年まで英文学、言語学、文学、クリエイティヴライティングなどを教える。2002年、オーストラリアのアデレードに移住し、アデレード大学の英文学部名誉研究員となり、2006年3月にはオーストラリアの市民権を取得する。2003年までの6年間、シカゴ大学社会思想委員会のメンバーでもあった。 1983年の『マイケル・K』で、さらに1999年の『恥辱』でブッカー賞を受賞。これは同賞はじまって以来の初のダブル受賞だった(授賞式はいずれも欠席)。重層的な連想を引き起こしながら、無駄を削ぎ落とした硬質な文体で、人間存在の奥深くを描き出す作風は、実験的、寓意的、ポストモダンとさまざまに論評されてきたが、そのたぐいいまれな倫理性とともに、同時代を生きるもっとも偉大な世界文学の作家の一人として論じられることが多い。 ノーベル賞授賞時にスウェーデン・アカデミーがあげた理由は、「数々の装いを凝らし、アウトサイダーが巻き込まれていくところを意表を突くかたちで描いた。その小説は、緻密な構成と含みのある対話、すばらしい分析を特徴としている。しかし同時に、周到な懐疑心をもって、西欧文明のもつ残酷な合理性と見せかけの道徳性を容赦なく批判した」というもの。アフリカ出身の受賞者としては、ナイジェリアのウォーレ・ショインカ、エジプトのナギーブ・マフフーズ、南アフリカのナディン・ゴーディマーについで4人目であった。マスコミ嫌いで知られるクッツェーは、2003年12月10日にストックホルムで行われた授賞式には出席したが、記者会見はしなかった。 2006年9月末、国際サミュエル・ベケット・シンポジウムに特別ゲストとして招かれて初来日。さらに2007年12月に国際交流基金の招きで再来日。2週間にわたって日本各地を旅行し、17日には東京で開かれた自作朗読会では、9月に出版された作品『Diary of a Bad Year』をアレンジして朗読した。 2009年8月、『少年時代』『Youth』と続いた三部から構成される自伝的小説の最終巻『Summertime』を発表。みたびブッカー賞を受賞するかと話題になったが実現はしなかった。この自伝的三部作は2011年に『Scenes from Provincial Life』として一巻にまとめられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「J・M・クッツェー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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