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J・R・ファース : ミニ英和和英辞書
J・R・ファース[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ファース : [ふぁーす]
 (n) farce, (n) farce
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

J・R・ファース ( リダイレクト:ジョン・ルパート・ファース ) : ウィキペディア日本語版
ジョン・ルパート・ファース[ちょうおん]
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ジョン・ルパート・ファース(、1890年6月17日1960年12月14日)は、イギリス言語学者音声学者
== 生涯 ==
ファースはヨークシャー州キースリー(現ウェスト・ヨークシャーシティ・オブ・ブラッドフォードの一部)に生まれた。1911年にリーズ大学を卒業、2年後に修士の学位を得た。イギリス領インド帝国の教育部門(英語版)に就職してインドに赴いたが、第一次世界大戦勃発のために、軍務でアフガニスタンアフリカにも滞在した。戦後はラホールのパンジャーブ大学の英語教授をつとめた。
ダニエル・ジョーンズに招かれて1928年にユニヴァーシティー・カレッジ・ロンドン音声学部の上級講師()に就任した〔Collins and Mees (1998) p.321 によると、それ以前の1926-1927年にもユニヴァーシティー・カレッジで働いているが、いったん辞めてインドに戻っている〕。同時にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスや、オックスフォード大学のインド学院(英語版)でも働いた。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスでは同僚のマリノフスキと親交を結び、その大きな影響を受けた。
1937年には奨学金を得てふたたびインドに渡り、グジャラーティー語テルグ語を研究した。翌年帰国すると東洋研究学院(のちの東洋アフリカ研究学院)の音声学・言語学部の言語学およびインド音声学の上級講師に就任した。その後1941年に学部主任教授に昇進したが、同学部の教員はファースを含めてわずか2人であった。ところが同年末に日本第二次世界大戦に参戦すると、東洋アフリカ研究学院はイギリス軍日本語短期講習の中心となり、戦争集結時までに教員は14人に増大した。第二次世界大戦中の功績により、1946年にファースは大英帝国勲章を叙勲された。
戦時中の1944年にロンドン大学では英国初となる一般言語学の講座を開き、ファースがその初代教授に就任した。1956年に退官するまでその職にあった。
ファースは英国文献学会の1933年以来のメンバーであり、1954年から1957年までその会長をつとめた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジョン・ルパート・ファース」の詳細全文を読む




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