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KAL-2[けいえいえる つー]
KAL-2(ケイエイエル・ツー)は、日本の航空機メーカー、川崎航空機(現在の川崎重工業)が製作したレシプロエンジンの連絡機。K・Aは川崎航空機、Lは連絡機の略。 == 概要 == 1954年(昭和29)に保安庁は防衛庁に再編発足することとなったが、練習機導入をめぐって対立した川崎航空機と富士重工業に対して多座席連絡機の製作を依頼した。川崎はKAL-1とKAT-1の経験を踏まえ、設計を一から見直した5座席の機体「KAL-2」を2機製作、1号機は11月に初飛行、12月に2号機も初飛行し、同月に発表した後、1号機を海上自衛隊、2号機を航空自衛隊にそれぞれ納入して返答を待った。一方、富士は自社でライセンス生産していたT-34Aの座席数を増やしたLM-1を開発し、同じく納入した。 1955年(昭和30)になって審査が本格的に行われた結果、同庁は9月、練習機として採用したT-34Aと部品が共通していることを理由に富士のLM-1を採用、川崎は再び敗北した。二度にわたって敗北した川崎は、アメリカ合衆国の技術力を学ぶために以降は富士や三菱重工業と同じく、積極的にライセンス生産の道を歩む。独自の練習機開発はT-4練習機でようやく実現した。 海上自衛隊の1号機は解体されてしまったが、2号機は1964年(昭和39)に陸上自衛隊へ移管、後に埼玉県所沢市の所沢航空発祥記念館(所沢航空記念公園内)が譲り受けた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「KAL-2」の詳細全文を読む
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