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DJ KOO(ディージェイ・コー 、本名高瀬 浩一(たかせ こういち)、1961年8月8日 - )は、日本のDJ、ミュージシャン、サウンドクリエーター、バラエティタレント。東京都出身。TRFのメンバーでDJ・ラップ担当のリーダー。TRFのリーダーであり、日本のダンスミュージックの黎明期からを知る。他、The JG's、WEST 87、Phal、WILLとしても活動。 ==来歴== 高校は柏日体高等学校卒業。高校在学中はラグビー部に所属していた。 新宿のディスコ「カンタベリー・ハウス」、「B&B」においてDJを務め〔、1986年にはリミックス・ユニット「THE JG's」を本田勝裕(dj honda)・大場次一等と結成し、リミックスやプロデュースを手がけた。The JG'sでは、「和製洋楽」と言われた「Set The Fire」を初めとした楽曲がディスコでヒットした。久保田利伸、C-C-B、早見優、岩崎良美、ザ・ピーナッツなど、リミックスを手がけた楽曲も膨大にあり、各社のユーロビート・オムニバス・アルバムのノンストップ・ミックスも多く手がけた。 1988年には初のオリジナル・アルバム『The JG's』を発表。ニューヨークのUnique Recording Studiosでレコーディングが行われ、REGINA、Dan Gilroy (Breakfast Club)、ケンジ・ヒノなど多彩なゲストが参加した。「SHAKE ME DOWN」や「HEAT!」ではメイン・ヴォーカルも務めた。「TOKIO」のラップは、一部歌詞を変えて後にtrf「Impression of trf」としてセルフカバーした。 メンバーチェンジを経て1990年にはシングル「地球は素敵なサーカス」(アメリカサーカスCMソング)、1991年には「SPARK IT UP」(鈴鹿サーキットCMソング)をリリース。 1992年8月のTRF結成後は、小室哲哉のプロジェクトEUROGROOVE・H Jungle with tにも参加。MSTの田代隆廣と共にユニットWEST 87としても活動、「CAFE」では日本ダンスチャートの1位を獲得し、ラテンディスコ(ラテングルーヴ)ブームのきっかけを作った。プロデュース・ユニット「the Factory」としては井手麻理子を発掘、V6にも楽曲を提供。1996年、宇都宮隆のライヴツアー『Tour '96 easy attraction』にゲスト参加し、TM NETWORKの『DIVE INTO YOUR BODY』のDJを担当した。TRFにおいては作詞、作曲を手掛けた。 全盛期のテレビ出演及びライブ時には前にターンテーブル、CDJ,ミキサー、横及び後ろにシンセサイザーを配置しておりそれを演奏していたが、シンセサイザーは、サンプリング音がアサインされた鍵盤を叩くほかは、カラ弾きの場合が多いことから、視聴者からキーボードプレイヤーと勘違いされることがしばしばあったが、あくまでDJであった。 2000年にはTRFのノンストップリミックス・アルバム『Burst drive Mix』を発売。2002年にはマニピュレータのTessey Nakanoと共にユニット「PHAL」としてマキシシングル「zento with PHAL」を発表、2004年にはFENCE OF DEFENSEの山田わたるとユニットWILLを結成した。ネット発売を経て2006年にはアルバム『NAGI』を発売した。WILLとしては韓国のユニット天上智喜の楽曲の編曲も担当した。 2007年3月放送の『ポップジャム』の最終回(TRFが出演)では、スペシャルDJとしてDJプレイを披露した。 2013年、アニメ『プリティーリズム・レインボーライブ』では、本人をモデルとしたキャラクター、「DJ.Coo」が登場。森久保祥太郎が声優を担当。主題歌や挿入歌でもTRF往年のヒット曲カバーが多数用いられた。 2014年からはタレントとしても活躍しており、頓珍漢な天然ボケエピソードを次々と披露し、バラエティ番組で引っ張りだことなっている〔2014年8月7日閲覧。〕。 現在でも現場主義の現役DJとして活躍中。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「DJ KOO」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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