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株式会社京王ストア(けいおうストア)は、東京都・神奈川県においてスーパーマーケットチェーンを運営する企業である。本社は東京都多摩市関戸に所在。 == 歴史 == 1959年9月、京王帝都電鉄(後の京王電鉄)によって設立された。当時の社名は京王食品株式会社(2008年時点で存在する京王食品とは別の企業である)。翌1960年4月、井の頭線渋谷駅ビルの完成と同時に洋食堂、フルーツパーラー等を開店し、以後も各地へ外食店舗を増やしていった。 1963年7月、ストア部門1号店となる食品スーパーマーケット「京王食品ストア」を小金井市に開店した。それまで同社にはスーパーマーケットの店舗開発・運営のノウハウがなかったため、日本ナショナル金銭登録機から指導を受け、東光ストアの売場レイアウトを参考にし、東武ストアにて店員の実習教育を行い、開店にこぎつけた。同年9月には食品のほか衣料品、玩具なども揃えた2号店〔同店では1966年に衣料品等の売場を閉鎖している。〕を下高井戸駅前に開店、その後も店舗を増やしたが、同社のストア部門は利益が出ていなかった。1965年には9店舗のスーパーマーケットチェーンとなるが、同社は赤字に転落した。 ストア部門の各店舗では、生鮮食品売場の運営を外部の専門業者に委託していた。1964年、青果部門の直営化に着手したが、この時は失敗している。1967年、6店舗の精肉売場運営を委託していた業者が倒産したため、急きょ社内に精肉部門を設けた。これが軌道に乗り始めたことから、1968年には水産部門、1969年には青果部門の直営化を始めた。1968年、ストア部門が同社の主力事業となったことに合わせて、社名を株式会社京王ストアに変更したが、ストア部門は依然として赤字体質であった。 1970年、京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターにボウリング場を開設した。この施設は当初黒字であったが、1972年から欠損に転じ、1974年の閉鎖後もしばらくは賃料を払う必要があったため、同社の赤字をさらに大きくする要因となった。1975年度には、同社の累積欠損は1,133百万円(実質的には1,566百万円)、借入金は5,496百万円に達している。このとき同社の店舗数は、レストラン部門15店、ストア部門14店であった。 1976年度より、京王帝都電鉄から *京王ストアが持っていた資産(土地、建物など)の買い取り *京王ストアへ賃貸していた店舗の賃料調整 *貸出金利の軽減 といった支援策を受けた。同じ1976年、京王帝都電鉄によって株式会社レストラン京王が設立され、京王ストアはレストラン部門をこの新会社へ譲渡した。この年、京王ストアは黒字に転換し、以後も収支を改善していった。1979年度末には京王帝都電鉄からの支援を辞退し、1980年度には累積欠損を一掃するに至った。後に同社は無借金経営を実現〔 - 株式会社帝国データバンク、2001年 より。〕している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京王ストア」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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