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== 概要 == 第二次世界大戦/太平洋戦争後のGHQ/SCAP占領下での1946年3月に第一次アメリカ教育使節団は、日本の教育事情の調査を実施した。その調査結果であるアメリカ教育使節団報告書に基いて進められた日本の学制改革の中で国内の全ての教育施設は翌年1947年4月に施行される学校教育法に基く新制度への適合化に向けての刷新を求められていた。その新しい学校制度への過渡期の中で、戦時の米政府並びに米軍の戦略目的によって戦災を免れていた京都は百万遍の地(左京区田中門前町)にて同年5月、次代の世界平和と国際的相互理解に供する人材育成を悲願とする、福島県会津出身の森田一郎 ・倭文子夫妻を創立者として京都外国語学校(旧制専門学校準拠)は開学した。開学間もない同校は4ヶ月ほどで中京区西ノ京内畑町に移転する。終戦直後の社会の大混乱は収まりの兆しを見せ始め、設立後2年を経た1949年、多くの国公私立の旧制高等教育機関がその年の4月には怒涛のように新制大学への転換を果たしていくが、当時の実情は社会の復興へ向けて歩み出すにしては市中の物資は十分とは言えず、学校教材もその例外ではなく耐乏生活を余儀なくさせられる時期でもあったために、新たな学校教育法に規定された、また更に文部省令による大学設置基準に達していないにもかかわらずに新制大学認可を待つ小規模な学校として、同校もその一つに数えられていた。その渦中の1950年4月、再度移転した右京区西院笠目町の地で、大学設置基準に対する文部省の暫定制度をもって京都外国語短期大学が設立認可されて、開学した。木造二階建て校舎が僅か2棟〔 京都外国語大学付属図書館/校友会員(卒業生)のご利用/ライブラリー・クロニクル/図書館の歩み 〕の昼間部英語学科だけから始まってその2年後に夜間部を設け、更にその7年後の1959年4月に短大昼間部の4年制移行を経て京都外国語大学は開学した。同学は国内では最初に設立された私立の外国語大学としてその後は学科を着々と増やし、専攻8言語〔2004年4月1現在。〕を擁する単科大学である。国公私立外国語大学・国公私立大学外国語学部における、専攻・学科としての言語数では東京外国語大学の26言語、大阪大学外国語学部〔旧大阪外国語大学〕の25言語、京都産業大学外国語学部の10言語〔嘗て天理大学が外国語学部(専攻言語数8)や国際文化学部を有していた2010年3月度までは同学が専攻言語数11で私立大学中で最多であった。2014年4月1日現在において、京都産業大学外国語学部が10言語で、私立大学中では最多専攻言語数となっている。 『2014年、外国語学部が変わる 京都産業大学』 〕に次ぐ。 専攻言語数8、第2外国語限定言語(ロシア語 ・コリア語 ・アラビア語 ・オランダ語)4言語と第3外国語限定言語(ギリシア語 ・ラテン語 ・トルコ語 ・インドネシア語 ・インド(ヒンディー)語 ・タイ語 ・ベトナム語 ・スワヒリ語)8言語の合わせて19言語にも渡る選択肢の中から、日本語を含む言語を履修できるカリキュラム展開を実施しており、専攻言語や第2第3外国語限定言語をも専攻科目とする国内外大学への学士入学や大学院へ進んで更に専門性を高めるという進路選択もできる。また、他学科の開放科目や大学コンソーシアム京都の開放科目の授業も受講でき、自由選択科目として単位認定を受けられる。 2005年に大学院外国語学研究科異言語・文化専攻を設置。博士前期課程は言語文化コースと実践言語教育コース、博士後期課程は言語文化領域と言語教育領域に分かれる。2008年3月に博士(言語文化学)第一号を授与。 2009年に財団法人 大学基準協会が京都外国語大学について「大学基準に適合」の認定(有効期間 2010年(平成22年)4月1日から2017年(平成29年)3月31日までの7年間) を行なった。 京都外国語短期大学と京都外国語専門学校と京都外大西高等学校は併設校である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「京都外国語大学」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kyoto University of Foreign Studies 」があります。 スポンサード リンク
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