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KV-2 : ウィキペディア日本語版
KV-2

KV-2(:カーヴェー ドゥヴァー)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦で開発された重戦車である。
“KV”とは当時のソ連国防相であるクリメント・ヴォロシーロフ()の名を冠したもので、英語では「KV」、ドイツ語では「KW」と表記される。
152mm榴弾砲を搭載した回転砲塔を装備するその巨体ゆえに、ドイツ兵からはギガント(巨人)と呼ばれた〔『GROUND POWER AUGUST.2000(No75) ソ連軍重戦車(1)』、p.89。〕。
== 概要 ==

1939年フィンランドに侵攻したソ連軍は、カレリア地峡の国境地帯に築かれたフィンランド軍の強固な防衛陣地、マンネルハイム線に前進を阻まれ大損害を強いられ、前線からは強力な火力支援戦車の要請が送られた。
そのため、当時開発が終わって採用されたばかりのKV-1重戦車をベースに、152mmM-10榴弾砲を備えた新しい回転砲塔を設計・搭載した陣地突破用戦車が開発された。1939年12月の開発要請に対し、1940年1月末には試作車完成、2月には増加試作型2輌が完成し(その後同型の増加試作型はもう1輌完成した)、直ちにフィンランド戦線に送られるという突貫作業であった。前線に送られた2輌は、2月11日、マンネルハイム線の一角であるスンマ地区で初めて実戦投入された。
本車の装備する152mm榴弾砲の絶大な火力は開発当初の要望に十二分に応えた。また、送られたうちの1輌はフィンランド陸軍のボフォース 37mm対戦車砲弾を48発も命中させられたにもかかわらず、砲塔前面で110mm、側面75mmの重装甲はそのことごとくを弾き、まったく機能に支障を来さなかったとされる。この活躍を受け、火力支援型KVは早速正式採用された。
当初、この戦車は単に「大型砲塔KV(KV s bolshoi bashnei)」として区別されていただけだったが、正式採用に伴いKV-2と名付けられ、ソ連の戦車兵からは親しみを込め、「ドレッドノート」と呼ばれた〔スティーブン・ザロガ,ジム・キニア『世界の戦車イラストレイテッド10 KV-1&KV-2重戦車 1939-1945』、p.13。〕。
試作車および3輌の増加試作型は、全て平面の装甲板による、平面形が7角形の砲塔を搭載していたが、量産にあたって、装甲板の構成が簡略化され、両側面は途中でカーブした1枚板の装甲を持つ、平面形が6角形の砲塔となった。この量産型砲塔は試作型砲塔に比べてわずかに背が低く、また、後面に近接防御用のDT機銃も備えていた。KV-2は、1940年から1941年にかけて、増加試作型を含め202輌が生産された。
しかし2名の装填手を要する分離装薬式の砲弾は発射速度は遅く、砲塔も人の背丈ほどもあった。また、砲塔は大幅に大型化しているにも関わらずターレットリング径はKV-1と同じで、数tもある砲塔を支えることに多大な無理を生じさせていた。重い砲塔は、車体が傾いた状態では満足に回転させることもできず、通常のKV-1でさえ難がある機動性と信頼性はさらに低くなった。
これほど運用上の制約がある車両でありながら、通常の戦車と混成で同じように扱われたため、いたずらに消耗を重ねることとなった。このためKV-2は開戦後ほどなくして生産は打ち切られ、ソ連戦車としては比較的少数の生産数で終わった。
その後、大戦中のソ連軍では、火力支援用途には大口径・長射程の牽引火砲やBM-13カチューシャが主力となり、また対戦車用途も考慮した重自走砲としてケースメート式のSU-152 / ISU-152なども開発されたが、KV-2のような重装甲・回転砲塔式の突破戦車は(ペーパープランはさておき)作られなかった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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