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木村 匡也(きむら きょうや、1965年11月3日 - )は、日本のナレーター、ラジオDJ。福岡県出身。西南学院高等学校、西南学院大学文学部外国語学科英語専攻卒業。 既婚。 == 来歴・人物 == 1989年に東京FM主催の『アメリカントップ40イングリッシュDJコンテスト』でグランプリを獲得、DJとしてデビュー。福岡、大阪でレギュラー番組を持つ。 その後上京し、日本テレビ系『進め!電波少年』を皮切りに、バラエティー番組を主戦場として活動。ナレーションとテロップを多用する番組スタイルの源流と言われる『電波少年』、『めちゃイケ』という二大番組のメイン・ナレーター。非常に特徴的かつ軽薄なナレーションを得意とする。 プロの中ではその技術に評価があり、2009年6月TBSの番組「サカスさん」でプロが選ぶナレーターBEST5で真地勇志とともに1位に選ばれている(ほかには武田広、広中雅志、垂木勉らがランクイン)。料理番組のナレーションを担当することも多く本人も大好きだと公言している。近年は主にフジテレビの番組や稀にドキュメンタリー系などナレーションを担当することもある。 そんな彼のナレーションスタイルとは、自身がVTRの進行、ネタの「フリ」や「落ち」にまで絡んでくるもので、どちらかといえば無声映画時代の活動弁士の役割に近いといえる。ただし冷静に説明するストレート・ナレーションとは違い、一種「出過ぎ」なナレーションでありそれがまたバブル期に誕生したアポなしドキュメントというバラエティー・ジャンルに見事にマッチしていた。 『めちゃイケ』では、様々なパロディ企画を担当することがあるが、『行列のできる法律相談所』のパロディでは武田広、『アメトーク』のパロディでは佐藤賢治といったように、本家のナレーターに似せてナレーションを行うという器用さも見せている。 最も影響を受けたナレーターにみのもんたや小倉智昭を挙げている。 かつてDJとして登場する際にはKYOYAという表記を使用し、TOKYO FM、横浜エフエム放送、J-WAVE、などFM局を中心にいくつか番組を担当していた。 当時、音楽DJとしては珍しく「オールナイトニッポン」金曜日・一部まで担当した。現在はラジオ番組は一本もない。 ナレーション以外では1990年にはプロレス団体・SWSの旗揚げ戦の放送(テレビ東京系)で実況を担当したことがある。 六人の娘がいる。 2001年、自作の童話を朗読したCD「カノン」を発表していた(アーティスト名は木村匡也withレーナ・マリア)。スウェーデン人ゴルペル歌手レーナ・マリアが挿入歌「アメージング・グレース」を歌う以外は、ほとんどが木村本人の朗読だが、セリフのパートは納谷悟朗、永井一郎、池田昌子、神谷明、島本須美といった豪華声優陣を使って製作されていた(現在廃盤)。 2008年3月に広川太一郎が亡くなった直後、担当番組のいくつか(『ポケットモンスター』、『VVV6』など)で彼の死を悼み、広川の独特の語り節である「~なんていっちゃったりなんかして」などのセリフをナレーションの中に折り込んでいた。 2008年『ラジかるッ』のDJ TERU(吉田照美)が休暇をとった際、DJ KYOYAとして出演したこともある(坂上みきも吉田照美のピンチヒッターをつとめているが、2010年は週前半を吉田、週後半はDJ KYOYAが担当。 2009年、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の「NEWSどっちJAPAN」に出演し、『めちゃイケ』や『VVV6』など他番組でおなじみのナレーションを披露した。その際、かつて福岡でDJをしていたとき石原プロモーションのドラマ『ゴリラ・警視庁捜査第8班』にちょい役で出演するチャンスが巡ってきたというエピソードも披露される。ただ、その時は自慢の声でアピールしようと一番イイ声を出したのに、オンエアーでは他人の声に差し替えられていたという。 J-WAVEの番組PLATOnに出演した際「ナレーターの仕事は額縁屋さんみたいな仕事かな?ほとんど名画はガクブチに入っているけど、誰も『額縁』を見に来る人はいない。けれど目には入っているものだ」と自らの仕事を語っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「木村匡也」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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