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Kremvax
kremvax(クレムバックス、〔Eric S.Raymond編纂『ハッカーズ大辞典』改訂新版、福崎俊博訳、アスキー、2002年、350-351ページ。〕)は、1984年4月1日、当時ソ連の最高指導者であったチェルネンコの名前でUsenetに投稿された記事の発信元となったサイトの名称である。東西冷戦下、西側との情報交流に制約のあったソ連がネットへの接続を開始したのか?! と話題になったが、実際にはこの記事はオランダからエイプリルフールのいたずらとして投稿されたものであった。事件はネットを対象にしたエイプリルフールとしては最初期のものとして知られている。 ==事件== 1984年4月1日、Usenetのニュースグループにソ連の最高指導者、チェルネンコを名乗る人物が記事を投稿し、ソ連は欧米との開かれた議論の場を設けることを目的として、Usenetへの接続を開始した、と明らかにした。発信元はkremvaxとなっていた。当時DECのベストセラー機であるミニコンピュータVAXをUsenetに接続する際に○○vaxと名付けられることが多く〔、この名称はクレムリン(kremlin)のVAX機の意味であると容易に類推されるものであった〔。記事にはkgbvax(KGBはソ連国家保安委員会の略)やmoskvax(moskvaはモスクワのラテン文字転写)といった名もあり〔、ほかの技術的特徴もソ連からの接続を示唆するものであった〔。 この時期は東西冷戦下にあり、両陣営間の情報交流は制約されていた。またアメリカはソ連向けの高度技術の輸出を禁止しており〔「米、7項目の対ソ制裁 高度技術輸出停止など 経済分野に内容限定」『朝日新聞』1981年(昭和56年)12月31日付東京本社朝刊1面。〕、1983年末にはVAX機のソ連向け迂回輸出が何度も摘発されていた。こうした情勢の中で「ソ連からのUsenetへの投稿」は、非常な驚きをもって受け止められ、大きな反響を巻き起こした。一説によれば、アメリカ国防総省も対策を真剣に協議し〔、アメリカ側のネットワーク関係者にはヨーロッパとの接続を切断するよう圧力がかかったとも言われるが、真相は明らかではない。一方でこの件を最初から冗談として捉え、その上でこの冗談を楽しむ姿勢を示す者も多かった。 実際には、記事はオランダの技術者ピート・ベールテマ〔アレックス・バーザ『ウソの歴史博物館』小林浩子訳、文藝春秋〈文春文庫〉、2006年、223ページの表記による。〕(Piet Beertema)が投稿したものであった。ベールテマはヨーロッパのインターネット草創期において中心的な役割を果たした人物で、事件当時はアムステルダムの研究所に勤め、管理者としてネットワーク構築の任に当たっていた。ベールテマは偽装された発信元が表示されるようにした上で記事を投稿し、さらに読者がチェルネンコに宛てて返信すると自分に届くよう設定に細工を加えた〔。しかし記事の投稿後、ニュースグループに記事への反響が多数寄せられるようになると、当時の高価で低速な回線でこのようなやり取りを配信することを問題視する声も高まった〔。ベールテマ自身も、続々と届くチェルネンコ宛てのメールに飽きてきていた。4月15日、ベールテマは自分がチェルネンコを名乗る記事の投稿者であることを告白する記事を投稿し、事件は終息した〔。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Kremvax」の詳細全文を読む
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