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Kバレエ ( リダイレクト:Kバレエカンパニー ) : ウィキペディア日本語版
Kバレエカンパニー[けいばれえ -]
Kバレエ カンパニー (けいバレエ -K-ballet Company) は、熊川哲也が主宰し東京都文京区に本拠を置くバレエ団。1999年創立。熊川が芸術監督を務める。名誉総裁はA・ダウエル
F・アシュトンG・バランシンの振付作品をレパートリーに持ち、英国ロイヤル・バレエ団を模範としたバレエ公演を主に日本国内でおこなっている。所属するダンサーは78名〔2011年6月現在。研修生21名を含む。これ以外にゲスト・アーティストとして5人を登録している。メンバー情報 (公式サイト)〕、年間の総公演数は約50回。
== 概要 ==

=== 沿革 ===
1996年、熊川が当時所属していた英国ロイヤル・バレエ団の夏期休暇中に、"Made in London" と称するバレエ公演を日本でおこなったのを発端とする。これはロイヤルの契約がシーズン休暇中は活動自由であることを利用して、吉田都ら当時の同僚10名と共に新作と古典の小品を演じるもの。この企画は1998年まで毎夏続けられた。
1998年9月、熊川がロイヤル・バレエ団からの退団を突然発表した。当時のロイヤルはその統括組織であるロイヤル・オペラハウスが赤字続きであったため活動が停滞しており、熊川に十分な出演機会が与えられないことが理由の一つとされた。程なくして、同じく熊川の同僚であったS・キャシディ、W・トレヴィットら5人の男性舞踊手も退団〔スチュワート・キャシディ(Stuart Cassidy)、ウィリアム・トレヴィット(William Trevitt)、マイケル・ナン(Michael Nunn)、ギャリー・エイヴィス(Gary Avis)、マシュー・ディボル(Matthew Dibble)。この5人は高額の年俸で引き抜かれたという。当時ロイヤルの芸術監督であったA・ダウエルの証言。 cf. "Dancing for joy" , ''The Guardian'', 9 Nov. 1999.〕。翌1999年1月、熊川が旗振り役となり6人を基幹とする新たなバレエ団、「Kバレエ カンパニー」の結成が発表された。
結成時のメンバーは、熊川と上記5人のほか、オーディションで選ばれた日本人女性のコール・ド・バレエ、客演者として現役のロイヤルの女性プリンシパルと第一ソリスト数名で、総勢26名だった。英国在住者が中心のため拠点をロンドンに置き、民放のTBSが日本に招聘するという形でスポンサーとなった。欧州での公演も行い、日本は巡演の一部と位置づけられていた〔とはいえ、実際は日本公演の成功を最重要視していた。 cf. "What's so special about K?" , ''Daily Telegraph'', 22 Apr. 1999.〕。初年度は外部の振付家に委嘱して作ったコンテンポラリー作品や古典の楽曲による新振付の小品を出し物とし、日本国内では春・冬の2度の巡演でそれぞれ約20日間の公演をおこなった。
2001年11月、谷桃子バレエ団の協力を得て、全幕物 『ジゼル』 を上演した。以後、徐々に古典の全幕物へ比重を移すようになり、毎年1作の割合でレパートリーに加えられていく。2002年9月、本拠地を文京区小石川に移して名実ともに日本のバレエ団となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「Kバレエカンパニー」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 K-ballet 」があります。




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