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L-4Sロケット(ラムダ-4エスロケット)は東京大学宇宙航空研究所(以下、東大)が日産自動車宇宙航空事業部(以下、日産)と共に開発し、日産が製造、東大が運用した日本初の人工衛星打ち上げ用固体燃料ロケット。1966年から1970年にかけて5度打ち上げられ(他1回は試験機)、5度目にして日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げに成功した。これによって日本はソ連、アメリカ、フランスに続き、世界で4番目に自国の能力により人工衛星を打ち上げた国となった。 == 概要 == L-4Sロケットはラムダロケットの一種で、ミューロケットの衛星軌道投入技術を開発するためのテストベッドとして計画された。 計4段の全段固体推進剤ロケットで、1段目にL753、2段目にL753の長さを短くしたものを、3段目にL500、4段目にL480Sを用いた〔。さらに2号機以降は1段目に2基の補助ブースターが取り付けられている〔L-4S型ロケット -文部科学省〕。 今では考えられないが、L-4Sロケットは誘導制御装置が付いていない、世界初の無誘導衛星打ち上げロケットである。しかし、単に真っ直ぐロケットを打ち上げても軌道には乗らない。何らかの方法で機体を制御し、地表に対して水平に向きを変えなくては、衛星を軌道に投入できないのである。これは決して開発能力が無かったわけではなく、誘導装置はミサイル開発に繋がる軍事技術への転用が可能であるという指摘が野党の日本社会党等から上がり、開発の着手時期が大幅に遅れたためである〔1960年4月14日第34回参議院内閣委員会第19号 社会党の矢嶋三義がロケット研究の軍事転用の可能性について懸念を表明 〕〔1961年4月18日第38回衆議院科学技術振興対策特別委員会第11号 糸川英夫がラムダへ誘導装置を搭載することを示唆 〕〔1965年2月17日第48回衆議院科学技術振興対策特別委員会第5号 社会党の田中武夫からラムダのIRBM転用可能性について質問〕。この代替策として、第1段と第2段は尾翼による空力的効果で、第2段と第3段はスピンモーターにより機体をスピンさせて安定を保ち、第3段燃焼終了・分離後、慣性により放物線軌道を飛翔中に、第3段はレトロモーターで飛翔経路を後落させ、(この時、第3段と第4段は慣性飛行を行っているので、そのままだと第3段の残留推力で第3段が第4段に衝突する)、第4段はデスピンモータでスピンを停止、姿勢制御装置で第4段を水平姿勢に制御(この時、ロケットは燃焼していないので「誘導」ではなく「姿勢制御」である)、その後、リスピンモーターでスピンを再び掛けて、放物線の頂点で第4段の燃焼を開始するという、非常に手の込んだ打ち上げ方式の「無誘導重力ターン方式」で軌道に投げ込む方法を取ることとなった。 「無誘導重力ターン方式」での「手の込んだ」一例を上げると、デスピンモーターがある。一旦点火をすると燃焼を中断できない固体ロケットによって、ロケット本体のスピンを停めるため、デスピンモーターはスピン方向と反スピン方向の両方にノズルを持っている。デスピンモーターは、燃焼直後には反スピン方向のノズルのみに燃焼経路を開きスピン停止の為の噴射を行うが、スピン停止を検知するとスピン方向のノズルにも燃焼経路を開き、相対推力を零にする。この技術は、後の宇宙研衛星打ち上げロケットに採用されるロール制御モーター「SMRC」に結実する。 打ち上げ時の重量9.4t、当時の価格で1機45万ドル(当時の為替相場1$=360円で換算すると1億6200万円)と、(理論上可能なだけでなく)実際に人工衛星を打ち上げたロケットとしては、歴史上最も小型軽量、かつ安価である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「L-4Sロケット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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