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LT-35(チェコスロバキア軍名称・ LTvz.35、ドイツ軍名称・ 35(t)戦車)は第二次世界大戦前の1935年にチェコスロバキアのシュコダ社が開発・製作した軽戦車である。 == 概要 == チェコスロバキア軍はルノー FT-17 軽戦車を装備していたが、これの旧式化を受けて1930年代中半より国産新型戦車の開発を始め、LTvz.34軽戦車を1934年に採用したが、緊迫する国際情勢から新型戦車を追加することとなった。ČKD社とシュコダ社で競作が行われ、LTvz.34の改良型を提示したČKD社に対し、シュコダ社はヴィッカース 6トン戦車を参考にした新型のS-II-aを提示した。1935年6月にこの2輌の試作車を元にテストが行われ、結果、S-II-aがLTvz.35として1935年10月30日に制式化された。なおこの決定には、シュコダ社と軍との間に政治的な裏取引があったのではないかとする説もある。 採用されたLTvz.35は最初に160輌が発注された。この際、カルテルに基づきライバルメーカーであるČKD社にも生産数の半分が委託されている。1937年に138輌が追加発注され、約300輌がチェコスロバキア軍に納入された。またルーマニアなどの東欧諸国にも納入された他、イギリスやソ連も購入や国産化を検討したが、ドイツの介入や契約未締結で実現しなかった。 1938年からドイツにより段階的に行われたチェコ併合により、LTvz.35の多くがドイツ軍に接収された。1939年3月の段階でチェコスロバキア軍で保有していたLTvz.35は297輌で、そのうちの219輌がドイツ軍に接収された。本車にはチェコ製を意味する形式記号(t) (ドイツ語ではチェコの頭文字はcではなくt)を与えられ、35(t)戦車 (Pz.Kpfw.35(t))と呼ばれた。LTvz.35では砲塔の乗員が戦車長のみで、砲塔からチェーンで吊られたサドルに腰掛け、指揮と装填・射撃を一人でこなさなければならなかったが、35(t)では装填手が追加され、パイプフレームに付けられたシートに腰掛けるように変更された。これで戦闘力が向上した反面、内部スペースが減少したため、搭載弾薬は減らされている。無線機もチェコ製のvz.35からFu.2及びFu.5に変更された。変速機構は前後とも6段ずつで、ブレーキ機構と共に独自の空気圧式を採用している。この機構は同時代の戦車に比べ操作を軽く容易にするものであったが、構造が複雑であり、生産初期にトラブルを頻発している。足回りはリーフスプリングのボギー式で、信頼性が高く履帯の寿命も長かった。 本車は質・量共に力不足であった第二次世界大戦開戦初期のドイツ軍にとって貴重な戦力となり、本来訓練用であったI号戦車やII号戦車よりも兵士たちに好評であった。なお前面装甲は25mmと同時期のドイツ製軽戦車より厚かったが、操縦手と無線手の視察用バイザー(ドイツ語でクラッペ)はずっと薄いスリット付き装甲蓋の裏に50mm厚の防弾ガラスがはまった構造になっている。またリベット結合であるため、被弾の際にそれが車内に飛び散って乗員に被害をもたらす危険性があった。 開戦以来多くの戦いに参加し続け、1941年夏のバルバロッサ作戦にも投入されたが、その冬の東部戦線では寒さにより空気圧式の変速およびブレーキ機構に作動不良が頻発し、問題となった。 LTvz.35は第二次世界大戦初期の軽戦車としては、当初信頼性に問題があったものの比較的優れた軽戦車であると評価されているが、1941年頃にはドイツ軍の第一線装備としての役割を終え、砲牽引車輌に改造されるなどした。また輸出型は同盟国で使われ続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「LT-35」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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