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ラホール(Lahore、 ウルドゥー語:لاہور、パンジャーブ語:لہور)は、パキスタン北部のパンジャーブ地方、ラーヴィー川の岸辺に位置するインドとの国境付近にある都市。ラーホールとも呼ばれる。 面積1,772 km²、2010年の都市的地域の人口では711万人である〔Demographia: World Urban Areas & Population Projections 〕。 豊かな歴史を誇り、ムガル帝国時代や植民地時代の建築物が保存されている。ムガル帝国時代の建築物には、バードシャーヒー・モスクやラホール城、シャーラマール庭園、ジャハーンギールとその妃ヌール・ジャハーンの廟などがあり、観光地となっている。英国によって建設された植民地時代の建築物であるラホール高等裁判所、中央郵便局 (GPO)、またそれ以前から残る多くの大学もムガル・ゴシックスタイルを残している。 パンジャーブ語がラホールでは最も広範に話される言語であるが、ウルドゥー語や英語も特に若い世代には普通に用いられる。ラホールのパンジャーブ語話者は、特に「ラホーリー・パンジャービー」として知られ、ウルドゥー語で話していてもパンジャーブ語が混じったような混成的口語を話すのが特徴的である。2006年のセンサスによれば、ラホールの人口は1千万に達すると推定されている。パキスタンではカラチに次ぐ第二の都市である。 ==歴史== 11世紀にガズニ朝に征服され、そのガズニ朝が、1150年に、ゴール朝にカンダハール付近の戦いで敗れて、首都ガズニを占領されるとこの町に遷都した。しかし、1186年にガズニ朝はついにゴール朝に滅ぼされた。1241年にモンゴル軍によって破壊され、略奪を受け、1398年にもティムールによって、再び破壊された。 ムガル帝国の第3代皇帝アクバルによって現在のラホール城が建設された。ラホール城はアクバルの後継者のムガル皇帝たちによって増築された。うち、「40柱の間」と呼ばれるディーワーネ・アーム(公謁殿)は、5代皇帝シャー・ジャハーンによって築かれたもので、歴代のムガル皇帝が「臣民」の拝謁を受け、彼らの請願を聞いたり、訴訟の解決に当たったりしたという。 また、シャー・ジャハーン帝は、1642年にシャーラマール庭園を築いた。現在は、市内に組み込まれているが、当時は市街から8kmほど郊外にあったという。『クルアーン』が描く天上の楽園の現世における実現を意識して造営されたという。 1673年には、アウラングゼーブによって、バードシャーヒー・モスクが築かれた。これは、ラホールのジャーミー・マスジド(金曜モスク)として造られたもので、インド亜大陸の4大モスクのひとつと言われる。ラホール城とシャーラマール庭園は、1981年にユネスコの世界遺産に登録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ラホール」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Lahore 」があります。 スポンサード リンク
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