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M-Vロケット(ミューファイブロケット 、ギリシア文字のミューにローマ数字の5)は、文部省宇宙科学研究所(ISAS)と後継機関の独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)傘下の宇宙科学研究所(ISAS)が日産自動車宇宙航空事業部と後継企業のIHIエアロスペースと共同で開発し、ISASが運用していた、人工衛星や惑星探査機打上げ用の3段式の全段固体燃料ロケット。 == 概要 == M-Vロケットはミューロケットシリーズの第2期計画であるABSOLUTE計画の第2段階であり、第1段階のM-3SIIロケットで打ち上げられたさきがけやすいせいによる彗星探査以降、惑星探査の機運が高まったことに伴い提案されたものである。政策としては1989年6月改訂の宇宙開発政策大綱において宇宙科学研究の一層の推進と全段固体ロケット技術の最適な維持発展、内之浦宇宙空間観測所の有効利用を目的として位置付けられ、1990年から開発がはじまった。開発開始以前からM-Vと呼ばれており〔ISASニュース 1989.6 No.102 〕、第1段に尾翼をもつ点が異なるが、それ以外の設計は完成型とほぼ同じであった〔ISASニュース 1991.1 No.118 特集:月/惑星探査計画 〕。 1995年に内之浦宇宙空間観測所から最初の打ち上げを予定していたが、モーターケースの素材として採用された高張力鋼HT-230の水素脆性に関する問題が1992年5月に発見され、材料の選定からやり直す必要があったために完成が2年遅れることとなった。先任のM-3SIIロケットは1995年に運用終了となっていた為、打ち上げ予定が大幅にずれ、火星探査機のぞみはこの影響を最も受けてしまった。 1号機の成功以降、4号機の失敗(後述)以外の打ち上げ実験は全て成功裡に行われ、7機打ち上げ6機成功という結果を残したが、2006年7月26日、M-Vロケットの廃止の決定が下された〔今後のM-Vロケット等について(JAXAプレスリリース) 〕。2006年9月23日のSOLAR-Bの打ち上げを最後に現役を退き、糸川英夫博士のペンシルロケットに起源を持つ、完全国産固体燃料ロケットであるミューシリーズの最終機種となった。 ミューシリーズで培われた様々な固体燃料系技術は、H-IIA/H-IIBの固体ロケットブースターSRB-Aや、小型科学衛星シリーズの打ち上げで宇宙科学研究所が中心的に利用する予定のイプシロンロケットなどに活用され、その他の技術は多くの国産ロケットに継承される事になる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「M-Vロケット」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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