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『M-1グランプリ』(エムワングランプリ)は、島田紳助が企画し、吉本興業が主催する漫才のコンテストである。通称「M-1」。2001年から2010年まで毎年12月に開催されており、2015年12月に復活した。朝日放送(ABC)が制作し、テレビ朝日系列で放送を行っている。 第10回までは、オートバックスセブンが特別協賛(冠スポンサー)となっていた。第10回までは、特別協賛会社の名をとり、正式名称は「オートバックス 〜M-1グランプリ〜」であった。決勝戦開催日がクリスマスに重なった2001年の第1回大会と2005年の第5回大会の2度の正式名称は「オートバックス・クリスマス・M-1グランプリ」であった。 == 概要 == === 創設理由 === 大会実行委員長は島田紳助。紳助は、「自身の現在のタレント生活が成立しているのはデビュー当時から8年間続けた漫才(島田紳助・松本竜介)があってこそ」と考えており、またその漫才を途中で辞めた罪悪感(紳助がダウンタウンを舞台袖で見ていたその時に、「俺たちの時代は終わった」と悟り、紳助が松本竜介に対して、半ば一方的な形で解散を決めたこと)から「何か恩返ししなければ」と常々考えていた。また、「松紳」(日本テレビ系)放送内で紳助と共に9回審査員を務めた松本人志と「単純におもろい奴を決めるコンテストがしたい」と話をする中でその構想は具体化していった〔松本が決勝戦の審査員を務めているのはこの番組で紳助に誘われたため。〕。 また、当時は、志村けん、加藤茶を始めとするザ・ドリフターズ、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、ネプチューンなど、漫才で活躍した芸人も含めて、コントの方が人気があったため(特にダウンタウンのコント番組の開始時期から東西の若手芸人の多くがコントを始めるきっかけになった。この他の要因としてナインティナインなどの吉本印天然素材出身の芸人及び、プロダクション人力舎の芸人の台頭が挙げられる)、漫才の人気は下がっていた時期であり、お笑い芸人になった際はコントから始める芸人が多かった(第2回王者であるますだおかだは、コントが全盛期であったことを理由にコントでの勝負は避け、デビュー当初から漫才を中心に活動している)。この影響からコントで人気が出た芸人は多いが、この大会への出場を前後して漫才を始めた芸人も多く(実際にコントで人気が出た芸人でも、漫才を始めた芸人は多く、「キングオブコント」で優勝経験のあるキングオブコメディ、ロバート、コロコロチキチキペッパーズもM-1グランプリに出場している)、コントでは評価されなくても、漫才では高評価を受けた芸人も少なくなく、一例を挙げると、おぎやはぎ、トータルテンボス、スリムクラブなどは、コントでは人気が出なかったが(トータルテンボスとスリムクラブは、「キングオブコント」では準決勝に進出している。この他、決勝進出者でも初期はコントを行っていたコンビは、麒麟や品川庄司など数組おり、共に漫才で頭角を現したコンビである)、漫才で高評価を受けた事が人気が上昇するきっかけになった。また、TBSは、コント版のM-1として松本人志に企画を持ちかけた結果、松本は「キングオブコント」の設立にも関わっている。 2001年に吉本興業の主催で創設される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「M-1グランプリ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 M-1 Grand Prix 」があります。 スポンサード リンク
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