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M2-F1 : ウィキペディア日本語版
M2-F1[えむ2えふ1]

M2-F1は、に依らずに胴体で揚力を得るというリフティングボディのコンセプトに基づき、1960年代から70年代にかけてNASAが試作した実験用航空機群の第1号である。1962年にNASAのドライデン飛行研究所が軽量で動力のない航空機(グライダー)として本機の製作を開始し、翌1963年に完成した。自動車による牽引飛行試験を経て、最終的に小出力ロケットを搭載して輸送機による曳航・滑空試験が行われた。機体は製フレームに合板を外皮として張り付けた構造をしており、を縦半分に切ったような奇異な形状とそのサイズから「フライング・バスタブ」(flying bathtub、”空飛ぶ浴槽”の意)と呼ばれた。名称の”M”は「有人」(manned)、”F”は「飛行」(flight)を意味しており、F以降の数字が機体番号を示し、後継機としてM2-F2M2-F3が開発されている。
== 開発 ==

リフティングボディの概念は1950年代半ばにNASAの前身である国家航空諮問委員会(NACA)のエームズ研究所から提案されたもので、宇宙船大気圏へ再突入した後に通常の飛行機と同じように水平着陸させるために考案された。そのような宇宙船を用いれば、アポロの指令船のような弾道的再突入軌道を取る場合に比べて操船範囲が広がり、カリフォルニア州程度の領域内に自由に着陸地点を決定することができるとされた。また、通常翼を用いる場合に比べ再突入時の熱応力によるダメージが緩和される効果も期待されていた。
1962年2月、リフティングボディの概念実証のための実機製作プロジェクトが立ち上げられ、ドライデン飛行研究所のデール・リード(Dale Reed)が中心となって機体設計やデータ収集が進められ、予算獲得のための努力が行われた。結果的に集めることのできた資金は全部で30,000ドルという少ないものであったが、これにはプロジェクトに対する当時の期待の薄さが表れている。
M2-F1の製造はドライデン飛行研究所と地元のグライダーメーカーであるブライグレッド・グライダー(Briegleb Glider Company)の共同作業によって行われた。機体内部の鋼製フレームの構築はNASAの工員と技術者が行い、マホガニーから作られた合板製外皮の製造はブライグレッド・グライダーのガス・ブライグレッド(Gus Briegleb)とその工員の手作業によって進められた。この作業はハワード・ヒューズの巨大飛行艇H-4の開発に参加していたNASAの工員アーニー・ラウダー(Ernie Lowder)も支援した。この他、アルミニウム製の尾翼、操縦系統、セスナ150型から転用した降着装置(後にセスナ180型のものに変更)などを含めた最終的な組み立てはNASAの施設で行われた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「M2-F1」の詳細全文を読む




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