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M2ブラッドレー歩兵戦闘車 : ミニ英和和英辞書
M2ブラッドレー歩兵戦闘車[えむ2ぶらっどれーほへいせんとうしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [ほ, ふ]
 【名詞】 1. a step 2. a stride 3. counter for steps 
歩兵 : [ほへい]
 【名詞】 1. infantry 2. infantryman 3. foot soldier 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦闘 : [せんとう]
  1. (n,vs) battle 2. fight 3. combat 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

M2ブラッドレー歩兵戦闘車 : ウィキペディア日本語版
M2ブラッドレー歩兵戦闘車[えむ2ぶらっどれーほへいせんとうしゃ]

M2 ブラッドレー歩兵戦闘車(M2 Bradley Infantry Fighting Vehicle)は、アメリカ合衆国で開発された歩兵戦闘車(IFV)である。
M3 ブラッドレー騎兵戦闘車(M3 Bradley Cavalry Fighting Vehicle)という装甲偵察車(CFV)型も存在する。


== 来歴 ==
アメリカ陸軍による歩兵戦闘車の開発は、1958年に開始されていた。これは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが開発した実験的な歩兵戦闘車の影響を受けたものである。しかし、同様に影響を受けた西ドイツフランスソビエト連邦に比べると、その開発は遅々たるものであった。1954年には、フランス陸軍AMX-VCI装甲兵員輸送車に実験的に20mm機関砲を搭載し、1950年代後半には、西ドイツが世界初の歩兵戦闘車であるHS.30を開発・配備していた。アメリカ陸軍もこれらの影響を受けて開発を加速し、1965年より、MICV-65(Mechanized Infantry Combat Vehicle 1965)計画を開始した。なお、当時進められていたMBT-70計画になぞらえて、この計画はMICV-70と呼ばれることもあった。
MICV-65計画のもとでは、M109 155mm自走榴弾砲をもとにパッカー社が開発したXM701と、M113装甲兵員輸送車をもとにFMC社が開発したXM734が試験されていた。この試験ではパッカー社のXM701が勝利したが、結局、アメリカ空軍が新しく主力としたC-141輸送機輸送できないことが判明して、採用はされなかった。一方、XM734が退けられたFMC社はさらに開発を続け、1967年にはM139 20mm機関砲を搭載するとともに車体にも小改正を施したXM765を発表したが、XM765もやはりアメリカ陸軍の試験を合格できなかった〔ただし、XM765をもとにエリコン KBA 25mm機関砲を搭載したAIFVは、輸出用途では一定の成功を収めた〕。
そして、1967年にソ連が開発したBMP-1が公開されて、アメリカ陸軍に大きなショックを与えた。BMP-1は、2A28 73mm低圧砲9M14対戦車ミサイルを搭載して重武装であり、また、歩兵兵員室に収容して放射能などから守りつつ(NBC防護)、ガンポートから小銃射撃して戦えるように設計されていた。アメリカがMICV-65計画で乗車戦闘能力を重視する一方で、ドイツとフランスの同種車両にはまだその種の能力が備わっていなかったことから、これは、アメリカ陸軍がとくに感銘を受けた点であった。ソ連が既に乗車戦闘能力と重武装を備えた歩兵戦闘車を実用化しているのに対して、アメリカ陸軍のMICV-65は依然として計画段階に留まっており、実用化の目途は立たずにいた。
1972年、アメリカ陸軍はMICV-65計画の失敗を踏まえて、新しい歩兵戦闘車の開発計画を発表し、FMC社はこれに対してXM723を提示した。XM723は、海兵隊向けのLVTP7装甲兵員輸送車をベースにしており、重量21トン、ソ連の標準的な車載機関銃であるKPV 14.5mm重機関銃に耐えられる装甲を備え、3名の乗員と8名の歩兵を輸送できた。XM723は当初、M139 20mm機関砲を備えた1名用砲塔を搭載していたが、1976年、これは、M242 25mm機関砲TOW対戦車ミサイルを備えた2名用砲塔に換装され、この改正型はMICV TBAT-IIと呼ばれるようになった。また、車内では標準的なM16自動小銃では長すぎて扱いづらいことから、乗車戦闘専用の小銃として、M231 FPW(Firing Port Weapon)の開発も進められた。
この時期、歩兵部隊が歩兵戦闘車を要請していたのと同様、騎兵部隊も新しい装甲偵察車を必要としていた。このことから、XM723と同時に、軽量の装甲偵察車の要求がなされ、M139 20mm機関砲を搭載したXM800装甲偵察車が開発された。しかし、XM800計画で提示された2つの案はいずれも期待外れで制式採用には至らなかったことから、1975年、装甲偵察車の計画はMICV計画と合流することとなった。
1977年、MICV TBAT-IIはXM2と改名され、その騎兵戦闘車バージョンはXM3と呼ばれるようになった。1977年、議会はこれらの車両の能力に疑問を抱き、一時的に予算を差し止めたものの、陸軍は、コストと開発期間の不足を訴えてXM2/3計画の推進を主張し、1978年10月、議会は陸軍の主張を受け入れた。1979年12月、XM2/3は最終試験に合格して制式化され、1980年2月1日、量産が認可された。M2/3は、第二次大戦のヨーロッパ戦線で活躍したオマール・N・ブラッドレー元帥にちなんで、ブラッドレーと命名された〔M2A3 and M3A3 Bradley Fighting Vehicle Systems (BFVS) , Federation of American Scientists (FAS) 2000-05-05 〕。アメリカ軍での運用が開始された1981年以降、6,724両が生産された〔M2 and M3 Bradley Fighting Vehicle Systems (BFVS) , GlobalSecurity.org 2005-06-24〕。
1980年に量産が認可されて以降、1994年までにIFV/CFVの2種で総数6,724両〔M2 ブラッドレー歩兵戦闘車が4,641両でM3 ブラッドレー騎兵戦闘車が2,083両である〕が生産された〔河津幸英著 『イラク戦争』 アリアドネ企画 2005年7月10日第一版発行、ISBN 4-384-03400-8〕。〔アメリカの兵器製造委託企業ユナイテッド・ディフェンス(United Defence)が製造を請け負っていたが、2005年にユナイテッド・ディフェンスを買収したBAE システムズ・ランド・アンド・アーマメンツで製造と改修がなされている。なお、平均単価は317万USドルである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「M2ブラッドレー歩兵戦闘車」の詳細全文を読む




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