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M2軽戦車(M2けいせんしゃ、M2 Light Tank)とは、1935年に開発されたアメリカ陸軍の軽戦車。初期型のM2A1から最終型のM2A4まで4種類が開発された。 == 開発経過 == M2軽戦車は1935年末に、アメリカ陸軍の歩兵科用戦車として、イリノイ州のロックアイランド工廠にて開発された。試作車のT2E1軽戦車が制式化され、M2A1軽戦車となった。それまでに開発されたT1E4、T1E6、T2、各軽戦車は、イギリスのヴィッカース 6トン戦車の設計の影響を受けていた。よってそれらの改良発展型である本車も影響を受けていた。T2軽戦車までは、ヴィッカース 6トン戦車のようなリーフスプリング・サスペンション方式の複雑な足回りだが、T2E1軽戦車からは、より単純なVVSS(垂直渦巻スプリング・サスペンション)方式を採用していた。これは後のアメリカの軽戦車、中戦車に踏襲された。履帯はダブルピンで、サイドガイド形式となっていた。 各型は、副武装として車体前面右側にM1919A4を1挺装備していた。車体と砲塔の装甲は溶接技術が未熟であったためにリベット留めであった。砲塔は人力旋回方式であった。 最初の生産型M2A1は、主武装としてM2 12.7 mm 機銃1門(砲塔前面左側)とM1919A4 7.62 mm 機銃1挺(同右側)を同軸で、砲塔上面後部左寄りに円形キューポラを備えた2人用(車長、機銃手)の単砲塔に搭載していたが、わずか10輌(19輌説あり)で生産終了となった。エンジンはコンチネンタル W-670-7 空冷星型7気筒ガソリン・エンジン(出力262hp)であった。 代わって、2つの銃塔を、左右並列配置(M2機銃1挺装備のキューポラ付きの左砲塔が車長兼機銃手、M1919A4機銃1挺装備のキューポラ無しの右砲塔が機銃手)で搭載した、M2A2が生産に移された。このような双砲塔の軽戦車は、オリジナルのヴィッカース 6トン戦車E型 Type Aの他に、ソ連のT-26やポーランドの7TPなどが同時期に存在していた。左右並列配置された2基の銃塔を持つ外観から、当時有名だった巨乳の女優にちなんで「メイ・ウエスト」と兵士たちには呼ばれた。左銃塔には円形のキューポラが設けられた。M2A2は239輌(237輌説あり)が完成した。 その後、スペイン内戦の戦訓から、アメリカ陸軍はより強力な装甲と武装の必要を認識し、1938年には、装甲強化と車体延長とサスペンションの改良をした、M2A3が開発された。エンジンはコンチネンタル W-670-9 空冷星型7気筒ガソリン・エンジン(出力262hp)に変更された。左銃塔のキューポラが六角形に改められている。M2A3は72輌(73輌説あり)が完成した。 1940年には、双砲塔をやめて2人用の大型砲塔に、主武装として53.5口径のM3 37 mm 対戦車砲(車輌搭載用に改修された戦車砲ではなく、対戦車砲のままであることに注意。そのため砲身の下の駐退復座機が車外に露出している)と同軸機銃のM1919A4機銃1挺を装備した最終型、M2A4の採用に至った。M2A4では装甲もさらに強化されており、最大装甲25.4 mm(1インチ)に達している。車体左右のスポンソン前部に、M1919A4機銃が1挺ずつ装備されるようになった。砲塔上面には車長用キューポラが設けられ、キューポラ後部に対空機銃架の装備も可能であった。M2A4は375輌(アメリカン・カー&ファウンドリー社で1940年5月から1941年3月にかけて365輌、ボールドウィン・ロコモーティヴ社で1942年4月に10輌)が完成した。 しかし、フランス戦での戦訓から、なお一段と強力な戦車が必要であると考えられ、1940年7月にはM2軽戦車をベースとした新型軽戦車の開発が始まっている。この新型軽戦車はM3軽戦車として完成し、1941年3月にM2軽戦車の生産は打ち切られた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「M2軽戦車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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