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MALTA(マルタ、1949年(昭和24年)9月19日 - )は、日本のサックス奏者。本名:丸田 良昭(まるた よしあき)。鳥取県倉吉市出身。 == 略歴 == 倉吉市立西中学校で吹奏楽部に入り、13歳からサックスを吹き始める。1964年(昭和39年)に佐々木道也、山本力、1966年(昭和41年)より阪口新に師事。早くからプロを目指していたが、両親には「将来は学校の教師になる」ということで納得させていた、という。 鳥取県立倉吉東高等学校を経て1973年(昭和48年)東京芸術大学音楽学部器楽科卒業。同年、バークリー音楽大学に留学し、1976年(昭和51年)卒業。同校の講師を務める。 1978年、チャールス・ミンガス『''Me, Myself An Eye''』(アトランティック)の録音でランディー・ブレッカー、マイケル・ブレッカー、ジミー・ネッパー(Jimmy Knepper)、リー・コニッツ、リッキー・フォード、ペッパー・アダムス、ロニー・キューバー、ラリー・コリエル、エディー・ゴメス、ジョー・チェンバースと共演し、『''Something Like A Bird''』(アトランティック)の録音に参加した。 ライオネル・ハンプトン楽団のコンサートマスター(1979年 - )を経て、1983年(昭和58年)にJVC(現・ビクターエンタテインメント)と契約、アルバム「MALTA」で日本デビュー。1987年(昭和62年)にはアルバム「SPARKLING」で第1回日本ゴールドディスク大賞を受賞。 1980年代後半、「SCRAMBLE AVENUE」「HIGH PRESSURE」「OBSESSION」をBGMにして、レーサーの松本恵二や星野一義らを起用したたばこ・キャビンのテレビ・コマーシャルが話題を呼んだ。 邦ちゃんのやまだかつてないテレビ(フジテレビ、1989 - 1992)では番組内で誕生したユニット「やまだかつてないWink」のシングル『“T”intersection』を作曲した。 1996年(平成8年)には京都芸術大学・京都芸術短期大学の客員教授、東京コンセルヴァトアール尚美の特別講師も務めているほか、2007年(平成19年)には大阪芸術大学の客員教授にも就任している。音楽理論・アンサンブル等の教鞭をとる。 2008年、大阪芸術大学の教授に着任。 2004年、通算27枚目にして自身初となるJAZZアルバム「MANHATTAN IN BLUE」(N.Y.録音)を発表。 "SwingJournal選定【ゴールド・ディスク】同アルバムの高音質版“XRCD24”発売。 シーズン・ベスト第2弾「WINTER BEST」発売。 2005年 6月東京・大阪で開催された「Fete de la Musique au Japon 音楽の祭日」(フランスで24年前に生まれ、 2002年から日本でも開催され世界126ヶ国で、6/21に同日開催)の名誉顧問 2006年 8月、通算30枚目にして初のLIVEアルバム「LIVE IN JAPAN-Jazz Up,Back Up,Dress Up,」(MBI-2001)を発売。 「BRASS / MALTA With Siena Wind Orchestra」発売。 通算33枚目にして初の吹奏楽共演アルバム(ビクターエンタテインメント) 「哀しき街」原田徳子(元CC.ガールズ)のCDレコーディング参加 2010年11月発売 (2009年8月8日 一口坂スタジオにてレコーディング) 2011年度より倉吉市の観光大使に就任。 毎年行われる地元鳥取県倉吉市の未来中心大ホールでの音楽祭は第11回となる2012年10月14日 「DROPFLAME〜My Hit Songs〜 」と「My Stardust〜Jazz Standard〜」2枚同時9月発売。(アトラム・レーベル) インターネットラジオ 「POMPYエンタメランド角淳一の声 ブログ第2話」 POMPYエンタメランド 2009年2月15日 演奏者・対談 「MALTA de Chopin」(ビクターエンタテインメントより11月24日発売) 2011年1月19日発売「LIVE IN JAPAN」アトラムレーベルより 1月21日丸の内・コットンクラブ「MALTA JAZZ BIG BAND」結成ライブスタート *「MALTA JAZZ BIG BAND」コンサート開催 2012年ライブDVD「JAZZ UP!~MALTA jazz Big Band~」発表 2013年 30周年記念CD2枚組「MALTA Rock’n / Love Balladz」発表 2014年4月 東京藝術大学音楽学部客員教授に就任 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「MALTA」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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