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MJB(エム・ジェー・ビー)は、アメリカ合衆国のコーヒーのブランドである。 ==歴史== 1881年、アメリカ合衆国の農業経営者・マックス・ジョセフ・ブレンステン(Max Joseph Brandenstein)が、共同経営者であるジョン・C・サイフライド(John C. Sigfried)とともに、サンフランシスコにあるカリフォルニア通りで、穀類の輸入業を創業。1885年、マックスの実の弟であるマンフリード・ブレンステン(Manfred Brandenstein)と、アルフレッド・アデルスドルファー(Alfred Adelsdorfe)が共同で「ワシントン・マニファクチャリング・カンパニー」を設立し、コーヒー、紅茶、香辛料の輸入と、輸入したコーヒー豆の焙煎・放送を開始するようになった。MJBは創業者のマックス・ジョセフ・ブレンステンの頭文字から取ったとされているが、当時、サンフランシスコのコーヒー業界においては、「フォルジャー」と「ヒルズ」が先行しており、これらに話って入るには、覚えやすいブランド名がよいのではないかとすることから命名されたとする説もある。 1905年、これまで「Pride of Japan」として発売されていた紅茶を「Tree Tea」として販売される。1906年、サンフランシスコを襲った大地震でスペアーとミッションの事務所が相次いで被災し、ブリキの波板を使って仮社屋を建設。1910年、コーヒー生豆と紅茶の仲介がら撤退し、MJBコーヒーとTree Teaの紅茶の販売にのみに専念。1915年、パナマ運河開通を記念した「パナマ太平洋万博」に出展し、同運河を経由して、南米から直接コーヒー豆の搬送が可能となった。このため、会場には直接輸送されたコーヒーがふるまわれた。 1916年にMJBの缶入り容器を製造していたウェストコーストワーク社を買収し、ウェスタン・カン・カンパニーと社名を改める。さらに1921年、ジョセフ・ブレンステンが会社の経営に加わるが、創業者兄弟は1924年に弟のマンフリード、1925年には兄のマックスも相次いで永眠してしまった。 1940年代は太平洋戦争の影響により、物資統制が敷かれ、ブリキ缶が使用できず、ガラス瓶入りのレギュラーコーヒーの販売を開始。一方、コメも不足した影響で、豆類の販売を開始。戦後は、アメリカ軍の進駐軍により缶入りレギュラーコーヒーが多数持ち込まれ、日本でもMJBグリーン缶が最も人気のある銘柄として知られた。 1950年代に入ると、主に関東・関西の輸入食料品店でレギュラーコーヒーが少しずつ普及し、特にMJBグリーン缶はインスタントコーヒーでは再現することのできない、まろやかで高い香りのコーヒーとして、コーヒーファンの間で高い信頼を寄せるようになり、またこれと相前後して、日本以外の極東アジア、カナダにも進出して、インスタントライス、インスタントコーヒーの販売が定着するようになっていく。 1962年ごろ、MJBと日本の京都府に本部がある共栄フーズと合弁し、MJBの日本法人が設立され、1963年宇治市に日本法人直営の工場が完成する。 1970年代に入ると、まず1970年にオーストラリアに進出。アメリカではサンフランシスコ近郊のユニオンシティーに工場を新設した。1975年に、カフェインなしのインスタントコーヒーを開発。1979年、紅茶のブランドも「Tree Tea」から「MJB」に統一された。 1981年に「MJBジェネリックシリーズ」(ブルーマウンテンブレンド、モカブレンド、キリマンジャロブレンド(200g缶入り))が発売される。1987年、「MJBカウボーイシリーズ」と題されたテレビコマーシャルの放送を機に需要が拡大され、1989年、久御山町に新工場が建設された。 1988年から1990年にかけて「トライアングルセッション3部作」(1988年「メインステージ」、1989年「マインドシューター」、1990年「ミッドナイトショット」)を開発。1990年代には、ヘビーユーザー向け「MJBアーミーグリーンシリーズ」やホテル用に頒布されていたものを家庭用にアレンジした「ホテル・レストランブレンド」など、新製品の発売も行われた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「MJB」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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