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金子 満(かねこ みつる、1939年1月 - )は、アニメーション・プロデューサー、ディレクター、シナリオライター。東京都出身。東京工科大学大学院教授。東京工科大学片柳研究所教授。東京工業大学大学院後期博士課程修了。博士(学術)。妻は女優の浜美枝。 日本のコンピュータグラフィックスの父と称される。 == 経歴 == 映画配給会社東宝の重役を父として生まれる。慶應義塾大学法学部を卒業後、フジテレビジョンに入社。フジテレビの編成部で『日清オリンピックショウ 地上最大のクイズ』や『第7の男』〔『映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』(著:金子満、近藤邦雄、三上浩司、渡部英雄。発売:株式会社ボーンデジタル)120頁〕『ゼロファイター』などを手掛ける。1964年に手掛けた『ゼロファイター』では制作方針の混乱から、当時のスポンサーが完成作品を敬遠して1969年まで「お蔵入り」を招く失敗を経験〔『映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』114 - 115頁〕。その失敗を経て、フジテレビの社内留学制度で南カリフォルニア大学シネマスクールへ留学。さらに、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーで研修を受ける。日本帰国後は『木枯し紋次郎』などのプロデューサーを経て、浜美枝と結婚。1974年にフジテレビから独立して、映像企画会社のMK COMPANY(エムケイ)を設立。エムケイでは『ウリクペン救助隊』『ラ・セーヌの星』や、中谷国夫の名で『大空魔竜ガイキング』の原作を手掛ける。その後も、エムケイのプロデューサー兼シナリオライターとして『名犬ジョリィ』や『太陽の子エステバン』を制作。1983年には東京工業大学の安居院・中嶋研究室と共同で2Dアニメーションの研究を行い、テレビシリーズのアニメ作品では世界初のコンピュータで描画・彩色した『子鹿物語』を制作。以降も『SF新世紀レンズマン』などのアニメ作品に携わる。1987年にはジム・クリストフらと、ロサンゼルスにメトロライトスタジオを設立。メトロライトスタジオが手掛けた映画『トータル・リコール』では、当時の最新技術だったモーションキャプチャシステムがうまく作動しなかったので、アーノルド・シュワルツェネッガーのビデオショットをハーフミラーで一枚ずつコンピューターモニターに投射して、モニター上の骸骨モデルをビデオの動き通りの位置に張り付けるロトスコープを採用。アカデミーの技術協会から「お金をかけなくても良い効果を生み出せる例」としてアカデミー特別業績賞を受賞する〔『映像ミザンセーヌの黄金則 ヒットする映画の作り方』113頁〕。1996年に、東京工業大学大学院後期博士課程修了(情報理工学)。慶應義塾大学環境情報学部及び同大学大学院教授を経て、東京工科大学メディア学部教授、同大学大学院教授となる。2010年に、東京工科大学大学院及び東京工科大学片柳研究所教授。東京工科大学片柳研究所のクリエイティブ・ラボで主宰を務める。また、東京国際アニメフェアで委員を務めるなど、精力的に活動をしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「金子満」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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