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Mi-17(ミル17;ロシア語:ミー・スィムナーッツァチ)は、ソ連のM・L・ミーリ記念モスクワ・ヘリコプター工場(MVZ)が設計した中型多目的ヘリコプターである。国内名称はMi-8MT(ミー・ヴォースィェミ・エーム・テー)、輸出向けの機体がMi-17と呼ばれた。ソ連崩壊後は、カザン・ヘリコプター工場(KVZ)とウラン・ウデ航空機工場(U-UZA)にて開発が継続されており、各種派生型が生産されている。北大西洋条約機構(NATO)は、「ヒップH」()のNATOコードネームで識別した。 == 概要 == === Mi-8Mの開発 === 1964年、Mi-8の改良型となるMi-8Mの計画が開始された。この年には、補助動力装置として機体中央線上にジェットエンジンを装備する高速型のMi-8Sの開発も始められた。Mi-8Mでは動力機関を出力を強化した新しいターボシャフトエンジンに変える他、当初はティルトローターの採用も検討されたが、これはすぐに放棄された。年々増加するヘリコプター便の利用者数に鑑み、Mi-8Mには40名の乗客を運ぶ能力が求められた。その結果、Mi-8Mでは機体を延長することで搭載空間を増加し、有効荷重を4tとすることとされた。この能力は、先任機のMi-4はもちろん、同世代の海外の機体と比べても特に優秀なものであった。 1967年11月、共産党中央委員会と人民委員会議はこの改良型ヘリコプターの完成を許可する政令を発した。このときには、MVZは実機模型を完成していた。この機体には、1960年代後半に開発された出力1,900馬力のTV3-117を2基搭載することが予定された。 1971年には、Mi-8Mの計画概要はTsAGIの認可を経て次の段階に進められた。すなわち、機体を延長する大掛かりな改設計を必要とする最終発展型の前に、従来機との中間に位置するような最小限の変更だけを施した機体を製作するということが決定された。従来のMi-8Tに搭載されたTV2-117エンジンは新しいTV3-117MTに換装され、強化されたトランスミッションなどが搭載されることとなった。これに加え、補助動力装置としてAI-9Vエンジンが主動力機関の間に搭載されることとなった。また、飛行特性の改善のため、テイルローターは従来とは逆に回転するよう、左舷側に装備されることとなった。 計画設計は良好であったが、MVZの開発部門は同時にV-12やMi-14、Mi-24といった重要な機体の開発を並行して行っていたため、また、すでに十分な能力を持ったMi-8シリーズの生産が軌道に乗っていたため、設計陣がそれほど必要性を感じなかったMi-8改良型の開発は遅滞した。しかしながら、1970年代初頭からそれまで運用されてきたMi-4の大量退役が開始されると、これを代替する新しい機体の供給が重要度を増すこととなった。TV2-117を搭載するMi-8は高山地帯や熱帯地方などでは運用が困難で、それらの地域で運用されてきたMi-4を代替するのには向かなかった。ここにきてMi-8Mの開発は急がれるようになり、1975年夏には機体が完成され、8月17日に初飛行を実施した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「Mi-17 (航空機)」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mil Mi-17 」があります。 スポンサード リンク
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