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NACK5スタジアム大宮 : ミニ英和和英辞書
NACK5スタジアム大宮
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


NACK5スタジアム大宮 ( リダイレクト:さいたま市大宮公園サッカー場 ) : ウィキペディア日本語版
さいたま市大宮公園サッカー場[さいたまし おおみやこうえん さっかーじょう]

さいたま市大宮公園サッカー場(さいたまし おおみやこうえん サッカーじょう)は、埼玉県さいたま市大宮区大宮公園内にあるサッカー専用の球技場。同市所有。同市外郭団体財団法人さいたま市公園緑地協会が運営管理を行っている。
なお、さいたま市大宮区に本社を置く民放FM局の株式会社エフエムナックファイブ命名権を取得しており、2007年5月14日から「NACK5スタジアム大宮」(ナックファイブスタジアムおおみや、略称「NACK」、「ナック」)の呼称を用いている(後述)。
== 歴史 ==
1960年4月9日、当時の大宮市埼玉県営大宮公園サッカー場(さいたまけんえいおおみやこうえんさっかーじょう)として開場。日本初のサッカー専用球技場で、現存するものとしては国内最古といわれる。
開場当初は、葦原の湿地に大量の土砂を入れた簡素なものだったため、ボールが場外へ飛び出してしまうと湿地へ取りに行ったという。転機が訪れたのは、1962年の11月に1964年東京オリンピックサッカー競技の会場の一つとして使用されることが決定したことだった。これに伴い、総工費1億9500万円(当時)を投じてスタンドを設置した。また1967年埼玉国体のサッカー競技の会場にもなった。当初の改修目的はこの2つの大会に供することであった。
1965年1971年に日本で開催されたアジアユースの会場の一つとして使用されている。1971年には、鉄塔式の夜間照明施設が設置された。
1970年に始まった全国中学校サッカー大会のメイン会場として、1981年の第12回大会まで使用された。
1979年ワールドユース日本大会の会場の一つとして使用されることに伴って、アウェイ側のゴール裏のスコアボードを電光式(電球形式で、チーム名と得点掲示のみ)に改修した。また、ディエゴ・マラドーナが国際大会デビューをした場所としても知られている。
1992年から1995年まではJリーグ浦和レッドダイヤモンズの準ホームスタジアムとして使用された(特に1992年のナビスコカップ1994年2ndステージ、1995年1stステージはホームスタジアムの浦和市駒場競技場(現さいたま市駒場スタジアム)が改修中だったため、浦和のホームゲームの大半がここで開催された。この時は、座席増築などの改修は行わず、1995年に芝生と夜間照明の照度をJリーグ基準に合わせる改修を行った)。
1996年以降は同じくJリーグ(1996年から1998年までは旧JFL)の大宮アルディージャ(旧NTT関東サッカー部)のメインスタジアムとなっている。また、全国高校サッカー選手権大会天皇杯全日本サッカー選手権大会の開催会場ともなっている。〔なお全国高校サッカーの本大会は、第80回を最後に埼玉県内での試合は埼玉スタジアムと駒場の2箇所(共に旧浦和市域)に集約され、大宮(NACK5)での開催は中断していたが、第89回第90回は駒場の改修工事実施に伴い使用され、第93回第94回は埼玉スタジアムが準決勝以降の試合を実施する事に伴い使用される。〕
2002年2002 FIFAワールドカップでは、駒場スタジアムと共に埼玉スタジアム2002で試合を行う際の練習用グラウンドとして使用され、ブラジル代表が準決勝の前にここで練習をして、ロッカールームの壁にロナウジーニョをはじめとしたブラジル代表メンバーのサインが書き残されている。
1990年代に入ると、施設の老朽化が顕著となり、埼玉県営大宮公園野球場の新築移転予定地だった大宮第二公園南側の用地に大宮公園サッカー場の新築移転案が持ち上がったが、程なく埼玉スタジアムの建設へと舵を切った。なお、この用地はその後、大宮第三公園として整備された。
2000年秋、県は埼玉スタジアムの竣工によって同サッカー場の代替施設が確保できたとして、2004年の彩の国まごころ国体開催後に大宮公園サッカー場を撤去・解体する方針を一旦決定、大宮アルディージャは浦和と共に埼玉スタジアムを使用する方針であった。しかし、大宮地区からサッカーの競技施設がなくなる上、アルディージャが本来のホームスタジアムを失う恐れが生じたことから(大宮のクラブが浦和の施設を間借りすることに対し、サポーターの間では相当な抵抗感があったといわれる)、サポーターらが大宮公園サッカー場の大宮市への移管を求めて署名活動を行うなどした。幸い、大宮市は改修の上で引き続き市民施設として供用する意思があったため、2001年4月1日から施設の管理権を県から大宮市に移管。同年5月1日に大宮市が浦和市与野市と新設合併して「さいたま市」となったのに伴い、さいたま市へ自動的に引き継がれた。2003年4月1日にさいたま市が政令指定都市への移行を記念して、同サッカー場の所有権も埼玉県からさいたま市に完全移管された事に伴い、現名称に改称した。
2006年春から2007年10月まで、全面的な改修工事が施されるため使用できなかった。(後述
2011年と2014年にJリーグベストピッチ賞を受賞。
2012年12月24日、第26回大会から天皇杯決勝の前座試合として行なわれてきた全日本女子サッカー選手権大会決勝を独立し、皇后杯下賜後初の大会となった第34回大会の決勝が本スタジアムで行なわれた。翌2013年の第35回大会も決勝が行われた(なお2014年度第36回大会以降からは、当地での決勝は開催されていない)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「さいたま市大宮公園サッカー場」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 NACK5 Stadium Omiya 」があります。




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