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NAHT : ウィキペディア日本語版
NAHT[なーと]

NAHT(ナート)〔デモカセットの小文字のロゴが初期作品で用いられているが、1998年以降クレジットはすべて大文字。バンド名はドイツ語の「縫合」から。〕は日本オルタナティヴ・ロックバンドである。
== 概要 ==
東京のハードコアバンドVolume Dealers, God's Gutsのメンバーにより1995年結成。1996年秋のfugazi来日でオープニングを勤めたのを皮切りにディスコード周辺のバンドとの共同リリースやツアーを活発に行い、2000年にはエモの代表作とされる作品〔Texas is the Reason, Promise Ring, Jets To Brazil, Braid, Dismemberment Planなど。ロビンスは元Government Issue, Jawbox, Burning Airlines. 2004年からChannels。〕を多く手がけたJ. ロビンスのプロデュースによるセカンドアルバムをトイズファクトリーからリリースする。これはポストハードコアに関する関心が日本でもアンダーグラウンドの枠を超えて広がりはじめた時期に重なり、音楽ジャンルとしての「ポストハードコア」に言及する際にはNAHTの音楽性がしばしば参照された。2009年10月23日、解散を発表。〔ハロー・オール・フォークス!Naht解散について。 10/23/2009 〕〔ナタリー 2009年10月23日付記事
メンバーの入れ替わりが多いバンドであるが、ギター・ヴォーカルの河合とドラムの笠井(God's Guts, 自主レーベル・レスザンTV)が不動のメンバーである。河合は札幌の高校を卒業後上京して音楽活動を目指すが、同郷の友人関係で東京のハードコアシーンに飛び込み〔渡邊龍一(DMBQ)が札幌時代からの知人。この時期に相次いで上京した小松正宏(bloodthirsty butchers)や笠井は、河合の双子の兄(札幌Spiritual Lounge代表)と札幌時代にバンドを組んでいた。(『Indies Magazine』 vol43. 2001.1)〕、さまざまなバンドで活動した。〔谷口順(God's Guts)主宰の自主レーベル・レスザンTVのサンプラー(1992)にはビッチ・レイド・ドライブとして参加している。ほかに、ノイズコアを目指したサンダーボルトなど。〕1993年暮れにはVolume Dealersに加入し鵜沢幸之介(Manwoman)の後任としてベースを担当するが、ギターからの切り替えがうまく行かず1年あまりで脱退〔Volume Dealersではファーストアルバムやアメリカ・ツアーに参加。後に「ポストハードコア」の典型的スタイルとして言及されるNAHTの「変拍子を多用のリズムにメロディーが乗っかる構造」は、河合によればこのバンドから学んだもの。(『爆音侍激情無宿編』p137)〕、後任のワタゾウが同じく半年ほどで脱退した後に二人で組んだバンドのひとつがNAHTである。〔ほかにFuck In Lifeも同時期に開始。98年にレスザンTVから同名アルバムをリリース。 〕God's Gutsの笠井は、Volume Dealersとのアメリカツアー以来河合と親しく、NAHTへの参加を快諾した。
吉村秀樹(bloodthirsty butchers)プロデュースの5曲入りデモカセットが好評で、大阪タイムボムが1996年のfugazi来日公演のオープニングに起用、吉村の個人レーベル391toneからの7曲入りマキシを皮切りに、2002年まで継続的に音源をリリースする。1998年2月から2003年3月まで下北沢シェルターで自主企画Learn it from Loneを17回開催、このうち7回は札幌のcowpersがゲスト出演した。国内ではcowpersのほかfOULとのツアーが多い。ディスコード関連のバンドとのツアーは、1998年のKerosene 454, Bluetip(元 Swiz), Sweetbelly Freakdown との「春宵爆団祭」, 1999年のBurning Airlines, 2000年のBluetip, 2001年のBurning AirlinesとJets To Brazil, 2003年のQ and not Uとコンスタントで、ディスコード以外でも1999年のRocket from the Cryptなどアメリカ・サンディエゴのバンドとの共演がある。2000年にはワシントンでセカンドアルバムをレコーディング、さらに2001年10月にはBurning Airlinesのアメリカ東海岸ツアーに参加する。アメリカ同時多発テロ事件の直後という悪条件下ながら、Hey Mercedes, 後にメジャー契約して2008年にはビルボード1位を記録するDeath Cab for Cutieといった人気バンドとの共演となった。このツアーを前に、アメリカDeep Elmレーベルのシリーズ物のコンピレーションとして知られるEmo Diaries で海外向け音源をリリースしている。
日本のメディアでのいわゆるポストハードコアの紹介は1999年頃から加速する。河合自身が、ディスコードに関する情報を積極的に紹介していたこともあり、NAHTやディスコードのバンドに共通の不協和音や複雑なリズム構成もしばしばこの音楽的類型の特徴として取り上げられた。八木の脱退でツインギターによる曲構成が維持できなくなったのを機に、2000年にバイオリンを導入するが、ワシントンでチェロのAmy Dominguesがさまざまなバンドに参加し始めた時期にあたり〔ディスコードのFaraquetやFugazi, Ted Leo, Jets to Brazil, Bob Mouldなど。なお、盟友cowpersは1998年リリースのアルバム「ロスト・デイズ」でバイオリンをフィーチャーしている。〕、この後アメリカ各地のインディーロックに広がっていく弦楽器の導入に先鞭をつけた試みであるといえる。しかし、2001年には再びツインギターに戻り、5人編成のバンドとして日本語詞の導入を含めた新たな方向を模索するものの、突破口のないまま2003年に一旦活動を中止した。2005年1月からスリーピースバンドとして活動を再開し、2007年のアルバムではシンセサイザーを導入するなどまた新たなサウンド作りを志向している。〔河合は「音楽性や活動の内容に凄く戸惑いのあった」2002年のスプリットの中で、もっとも「しっくりきた」のがELOのカヴァー("YOURS TRULY, 2095")だったとする。(Rooftop2007年8号)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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