|
NB-36Hとは、アメリカ合衆国が1950年代に試験を行った航空機。実用化を検討していた原子力推進爆撃機WS-125(ウエポン・システム)開発の第一段階として製作された。 本機の目的は、航空機に原子炉を搭載し、放射線に対する遮蔽の実験や、電気回路に対する放射線の影響を調査することにあった。1機が改造・製作され、1955年から1957年まで飛行試験が行われた。機体は1958年に解体されている〔コンベアB-36ピースメーカー 世界の傑作機No125 文林堂 ISBN 9784893191601 2008年〕。 == 概要 == 原子炉を搭載する実験機として、当時の最新の戦略爆撃機であるコンベアB-36H(B-36H-20-CF シリアル番号51-5712)の機体を改造している。竜巻による損傷を受け、修理が必要とされていた機体を改造母機とした〔。この実験機では、動力としては用いなかったが、後部爆弾倉を改装し、原子炉P-1(加圧水型・出力1メガワット)を機内に設置していた〔航空ファン別冊 No.32 アメリカ軍用機1945~1986 空軍編 文林堂 雑誌コード 03344-8 1986年 P241〕。 この実験機では、動力としては用いなかったが、後部爆弾倉を改装し、原子炉P-1(加 この研究ではコンベアが携わっており、将来的にはコンベア社は本格的な原子力推進試験機であるX-6を開発するデータ集積に使う予定であった。そのため、原子炉が乗員に与える影響などを調べるものであった。NB-36Hには乗員を放射線から守る、水タンク等の放射線防御シールドが施されており、機首の操縦席はカプセル状に改装された。遮蔽用の鉛や鉛ガラスなど用いたため、操縦カプセルの重量だけで12tにもなり、地上支援車両にも遮蔽処理が施されている〔。 NB-36HはMX1589計画として、1951年より本格開発が開始された。X-6計画が1953年に中止されたのちも、放射線遮蔽試験用として、開発が継続された。また、1955年9月から1957年3月まで47回・計215時間の飛行試験が行われていたが、そのたびに放射線を測定するボーイングB-50と、万が一墜落した場合には現場を封鎖する兵士を乗せたC-119輸送機が随伴していた〔。また、飛行終了後は、コンベア社のフォートワース工場内に設置された特製ピットでNB-36Hから降ろされた原子炉を検査の上で試運転していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「NB-36H」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|