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奥村 茂雄(おくむら しげお、1972年5月25日 - )は、日本の男性プロレスラー。大阪府池田市出身。身長182cm、体重98kg。現在は主戦場をメキシコのメジャー団体CMLLに移し活動している。 == 経歴 == 栗栖ジムで修行に励み、IWA格闘志塾に入団。 1994年12月31日、神奈川県横浜市無国籍屋台15番地ヨンドンにて菊澤光信(現:菊タロー)を相手にデビュー。 1995年に石川敬士率いる東京プロレスに移籍し石川の付け人を務める。エース・石川のパートナーとして活躍していたが、1996年、折原昌夫、田村忍と共に東プロマットの改革を訴え、ヤングデストロイヤーズを結成する。同年、奥村自身もメインに出場した両国国技館大会をもって東京プロレスは崩壊。その後、東プロは新体制FFFに移行するが、土壇場で奥村は参加せず石川と合流。川畑輝鎮らも含めた東京プロレス軍団を名乗り、東プロ軍団総出で石川の古巣WAR事務所に乗り込み参戦の意思表示をする。1997年に入り、東京プロレス軍団は石川一家と名前を変え、石川一家は複数の団体へ対抗戦を仕掛ける。WAR、IWA・JAPAN、大日本プロレスとの対抗戦を継続しながら石川一家は自主興行も開催。そして石川が新日本プロレスの木村健悟との合体を果たしたのを機に奥村も新日本プロレスへ参戦した。その後、カナダ・カルガリーに遠征。現地で奪取したベルトを手土産に石川が興した新東京プロレスにバッドニュース・アレン、ジェリー・モローらと共にヒールサイドとして参戦。1998年1月、石川孝志が引退を賭けたシングルマッチを制し、念願の石川越えを果たした。この試合をもって石川は引退。師・石川から形見としてガウンを贈呈された。その後、新東京プロレスは活動停止になり、フリーとして各団体に参戦。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奥村茂雄」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Shigeo Okumura 」があります。 スポンサード リンク
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