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ON砲(オーエヌほう)とは、からまでの読売ジャイアンツで活躍した長嶋茂雄、王貞治のコンビを指した言葉。 == 概要 == ルーキー時から読売ジャイアンツの主軸として活躍していた長嶋茂雄に加え、王貞治がに一本足打法を会得して大ブレーク。翌には2人が巨人優勝の原動力となり、ニューヨーク・ヤンキースのミッキー・マントル、ロジャー・マリスを指すMM砲に倣いON砲(あるいはON、ONコンビ等)と呼ばれるようになった。 このON砲という言葉は、『デイリースポーツ』が造り出したものである〔同紙が東京地区でも巨人のライバルである阪神タイガースを大きく取り上げるようになるのは、ON引退後の1982年のオフからである。〕。なお、通常は3番に王、4番に長嶋を配置していたが、試合によっては打順を入れ替えて3番長嶋、4番王としていたので、NO砲とする案も検討されたが、そうすると「不発弾になってしまう」ということで却下された。 プロレスにおけるジャイアント馬場とアントニオ猪木によるタッグがBI砲と称されるなど、野球以外にも広まった。 、長嶋・王それぞれが監督辞任・現役引退したことにより巨人におけるON時代は終焉を迎えたが、2人の功績を讃え後楽園球場では1981年から閉場の1987年まで1番ゲートを「王ゲート」、3番ゲートを「長嶋ゲート」と称した。閉場して東京ドームとなってからはこのゲートは一旦姿を消すが、1998年の同球場開場10周年を記念して復活。また後楽園球場閉場の際は一塁ベースは王、三塁ベースは長嶋にそれぞれ寄贈されている。 2000年の日本シリーズにて長嶋は巨人の監督、王は福岡ダイエーホークスの監督として対決することとなった(優勝は長嶋巨人)。この日本シリーズは「ON対決」として語り継がれている〔『ベースボールマガジン』2009年3月号の表紙は、平成年間の日本プロ野球のシーンとして同シリーズ開始にあたり、2人が握手している写真も掲載されている。〕。翌2001年のオールスターゲームでは長嶋率いるセ・リーグ、王率いるパ・リーグが激突した〔『巨人軍5000勝の記憶』80ページ、読売新聞社、2007年〕(こちらは王率いるパ・リーグが2勝1敗で勝ち越しとなった)。 長嶋・王は共に国民栄誉賞受賞者でもある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ON砲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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